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昨日の改訂版と続き!

親孝行を考えてみた

僕は奈良で父、母、犬二十五匹という非常に偏った家庭で育った。キャスティングが滅茶苦茶だ。

普通はおじいちゃんおばあちゃんがいたり、兄弟姉妹がいたり、叔父叔母や従兄弟などがいたりする。

梅村家は違った。
父、母、犬二十五匹。
円グラフにするとアホみたいな家族だ。
僕と父母が「その他」に属するだろう。

先述した通り、父母から愛情をたっぷり注がれ、僕は何不自由なく暮らしていた。
貿易会社の社長なのに偉そうな感じが全くなく口数の少ない優しい父。
とにかく明るくてポジティブ、典型的な教育ママでやかましい母。
ゴールデンレトリバー二十二匹と柴犬二匹と雑種一匹の一人ワンワン王国。

僕は梅村家をとても愛していた。

母は浪費家で父と毎週のように大阪へ買い物に出掛けていた。
いつもブランド品を買わされていた。
母は「イッセイミヤケ」というブランドのBAOBAOというバッグが好きで、しょっちゅう父に買ってもらっていたそうだ。
父はいつも迷惑そうだった。

しかし、僕が実家を出て犬達も天国に行ってからは、その買い物は少し楽しそうにも見受けられた。

父は一昨年、社長という役職から勇退した。

僕は父が一度も僕に会社を継がせようとしなかった理由を尋ねてみた。

「同族経営は好みではない。あなたはやりたいことをやりなさい」

僕が売れていないのにお笑いを続けることに関して思うところはないかも聞いてみた。

「三方よし。自分は少しだけ、あとはお客さん、そして敵を含めたあなたの周りを勝たせなさい。あくまで自分はちょこっとだよ。それを続けるときっと成功する」

小さい頃から尊敬していた父の言葉が三十後半の歳になってやっと身に染みた。

僕は好きなことをずっとさせてもらえた。たっぷり活躍して親孝行しまくろうと改めて決意した。

そんな矢先だった。
母の癌が発覚した。

かなり進行していた。信じられなかった。検査の当日まで元気だった。少し腹痛が続いたので調べてもらったら最も進行が進んだ状態だった。

僕と父は動揺を隠せなかった。
二人で人目も憚らず難波の喫茶店で泣いた。
父の涙を見たのは二回だけだ。
僕の結婚式の二次会で芸人がたくさん集まってくれたことに挨拶をしたときとこの日だけだ。

しかし、母は全く動じている様子がなかった。
「私は欲しいものは何でも買ってもろた。孫の顔も見れた。今死んでも全く悔いないねん。美人薄明やからこれは宿命やわ」
そう言って母笑っていた。

待ってくれ。一つだけまだ見せていない。僕はまだ売れていない。すぐに売れて全国のテレビにもバンバン出るからもう少しだけ待ってくれ。

そんな想いは全く叶わず、病気が発覚して数ヶ月で母は他界した。あっという間だった。

僕は母にまだ恩返しが全くできていなかった。
母は日曜日に「アタック 25」を欠かさず見ていた。
その度に父に言っていた。
「賢太郎も出られたらええなぁ」

僕はその姿を見せることができなかった。

僕は母が他界してから一年後「アタック 25」に出演することになる。

僕は決してクイズは得意ではなかった。
分かる問題は少ないだろうと予想していた。

そんな中、僕は答えがすぐに分かった問題なのに即座に答えられなかった問題があった。

BAOBAOというブランドを作った人物の名前がクイズに出題されたのだ。
「イッセイミヤケ」さんだ。

母が家族とこの番組を欠かさず見ていたことと、母が好きなブランドだったことが一気に甦って、一瞬答えることができなかった。

気を取り戻し早押しボタンを押して「イッセイミヤケ」さんと答えて正解と告げられた。

司会の谷原章介さんにギャグを振っていただけたのに、そっちのけで「母が好きだったんです」と返してしまった。

谷原さんは「お母さんも喜ばれているでしょうね」と答えてくれた。

あのとき僕のウケたことのないギャグ「ウメイジング」を振ってくれたのに、変なことを返して申し訳ありませんでした。

ありがとうございます! ここを読んでくれているのが嬉しいです サポートはメッセージを送れます メッセージお待ちしてますね 必ずお返事するので少しお待ち下さい これで僕らは生きられます😢 本当にありがとうございます