コメディ映画「ジョーカー」考察 その1

ダークナイト各位

ワイソーシリアス?
ジョーカー(ちらかわ)です。

私好きなんですよね、こういうタクシードライバーを彷彿とさせるような退廃的な映画が…。こういうプロットの映画は画的にも映えないし暗いので今全く流行らないですが、これにジョーカーを実装することによってポップに仕上げるという発想、好きです。

感想をだらだら書いてもいいのですが、あまりにも散漫になりそうなので、今回は印象に残った秀逸な台詞を紹介していきます。
ちなみに台詞は一言一句あってるわけじゃないと思いますが悪しからず。


★I used to think that my life was a tragedy, but now I realized it's a comedy.

どこで言ってるのか忘れましたが予告編でも流れまくってたアーサーの台詞。この映画の監督がコメディ専門(ハングオーバー等)だということを知って思ったのは、あらゆるコメディの可能性のひとつとしてこの映画に挑戦してみたのではないかということ。何が喜劇で何が悲劇かは、本来誰かが決めるものではなくて、あくまで自分が決める主観のもの。パイ投げを見て笑う人もいればパイがもったいないと嘆く人もいる。悲惨な状況をただただ悲惨だと思う人もいれば笑いに変える人もいる。ジョーカーは街が燃え盛るのをみて爆笑する類のキャラクターなのでまさに笑いの両義性という意味では最たるテーマ。このセリフからこの映画を作り上げていったのでは、と思ってしまうくらい象徴的な台詞と思いました。

★is it just me or is it getting crazier out there?

社会生活がどんどん苦しくなっていく中で、自分がおかしいのか社会がおかしいのかをカウンセラーの問いかけたときの台詞。政治的な意図はないのでしょうが、この映画は結構現実社会の状況と
リンクしている部分があって、特にこの言葉は社会的な正しさを求められて苦しむサラリーマンはわりとみんな思ったことがあるんじゃないかな。こんど会社健康診断で言ってみようかな。
共感を生むという意味では、アメリカでは観客が暴徒ジョーカーと化すことを危惧して厳戒態勢で上映する映画館とかもあったみたいですね。たしかに銃社会だと怖いよなぁ。その点日本は銃規制とか生活保護とかが比較的行き届いてて、ジョーカーにはなろうと思うまで顧みられない社会じゃないので安心して映画館で見れるけど。アーサーにもそういうセーフティネットがあればジョーカーにならずに済んだのかも。唯一彼のセーフティネットになり得たのは隣人の女性でしたが。

★the worst part of having mental illness is people expect you to behave as if you D☺NT

アーサーがノートに書き留めていた、定型の健常者に対する憎しみを表す一文。この映画を観ていて、精神疾患や貧困の自覚はないのに、アーサーに一定の理解を示してしまうのだとすれば、その理由はアーサーのこの卑屈な感情は、一般的に「持たざる者」が「持てる者」に対して抱く感情として共通だからなのだと思います。
「才能がある⇔ない」「リア充⇔非リア充」「金持ち⇔貧乏」など、さまざまなパターンがあると思いますが、そのうちのどれかで自分が持たざる者の立場に置かれたときに、持てる側の、持たざる側に対する冷ややかな態度に違和感を少しでも持ったことがあれば、アーサーがどこか自分の写し鏡のように見えると思います。
一方で、そういう感情を微塵も持ったことがないか、見て見ぬふりをし続ける人であれば、多分この映画は才能が無いキモイおっさんがひたすら社会に逆恨みし続ける退屈な映画に思えることでしょう。そしてそういう人はキモイおっさんのことをキモイと言い続けるのでしょう。

ちなみにこの映画が発端で移民や貧乏人への取締まり(差別)が強化された地域があるというニュースを見て、昔、ファインディングニモが流行ったせいでカクレクマノミが絶滅しかけているというニュースを思い出しました。ニモがかわいいからといってニモを飼い始めてはいけないのです。それは映画が伝えようとしていることの真逆だからです。この映画の教訓は
「キモイおっさんをキモイと見下してはいけない。なぜなら自分がいつ持たざるキモイおっさん以下になるともわからないのだから」
ですね。アーサーを踏みつけていたエリートサラリーマン3人は銃を向けられた瞬間、あるいは屍になった瞬間、見下していたアーサー以下の存在になってしまいました。みんな人には優しくしよう。

★I just hope my death makes more cents(sense) than my life

これもアーサーが書き留めていた日記兼ネタ帳にあった一文ですが、字幕では「自らの生よりも硬貨(高価)な死を」みたいになってて、翻訳家の苦悩と工夫が見えました。意訳すると「唯一の希望は、自分の人生よりも死のほうが意味があるかもしれないということ(稼げない自分が生きているよりも、死んだほうがおつりもくることだし)」という自虐ネタなんですが、限られた文字数で本来の意味を踏まえつつうまくダジャレ的なジョークでもあるということが表せていてなかなかのファインプレー。「せめて死ねば誰かに見向きされるかも」「少しでも母親を金銭的に楽にさせてあげたい」というアーサーの心の闇と母親への愛情がにじみ出る名文。映画のクライマックスでは孤独でみじめなアーサーは観念的な意味ではこの世からいなくなり、社会的弱者の暴力的なカリスマとしてジョーカーが誕生したので、彼の望みは報われる、というふうに結論付けられるかたちで伏線回収してましたね。またジョーカーが誕生したのが「it's life」という番組名なのも見事に練られてますわ…。


――ということで個人的にはかなり良作でした。
貧しいフレック母子の唯一の楽しみが憧れのセレブが出ている番組をふたりで観ることであるところとかコメディアンの舞台を観ながら「アイコンタクトが大事」とか汚い字でノートしてるところとか泣きそうになりましたね。

とはいえ、この映画がジョーカーの正史と言われるとそれはそれで寂しい気もします。自分の中では、ジョーカーは特に背景も理由もなく純粋に狂気を楽しむミステリアスなキャラだったので。
ダークナイトのジョーカーがそうであったように、彼自身が妄想性障害持ちでいろんな人に自らの全く違うバックグラウンドを語る癖があり、本作のストーリーもジョーカーの妄想のひとつなんだろうという感じで思っときます。

あと最近、「一般的にサイコパスと認められるシリアルキラーはどうして生まれるのか?」という観点で、シリアルキラーの心理を分析し、そこで得られた知見を体系的な捜査手法に落とし込み、連続猟奇殺人の捜査に取り組んでいくというお話の、実在したFBI捜査官の手記が原作のドラマ「マインドハンター」を観ていて、現実に起きたサイコパス事件やシリアルキラーの人格形成過程に詳しくなっていたので、タイムリーにジョーカーのパスみを楽しむことができました。Netflix加入者ならぜひ観てみてください。デヴィッド・フィンチャー作品です。地味で暗いですが人の闇に思いを馳せることができる名作です。

ダークナイト見たくなってきたので

以上

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