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29歳独身・無職、元有名企業OL、アフリカでのネクストキャリア

「一歩踏み出すきっかけの」をコンセプトに存在感を放つ商品で、関わる方々の背中をおし続けているRAHA KENYAさん。
そんな素敵な会社にて、2022年1月下旬よりインターンをさせていただくことになりました。
ケニアへの出発を前に、このインターンをするに至った経緯と自分の決断にかける思いを綴ります。

この記事では、
● わたしの社会人経歴について 
● ケニア行きを決断するまでの葛藤
● インターンを通してなりたい自分像

についてお話させていただきます。

このご時世に、30歳を目前にして、ケニアに、インターンをしに行くという決断は、わたしの中に形成されていた日本社会の考え方とは真逆に行くようなもので、大きな葛藤がありました。

まだ出発もしていない身ですが、もし同じような悩みやモヤモヤがある方がいれば、わたしの決断とこれから向かっていく先を是非サンプルとして見届けていただけますと嬉しいです。

自己紹介

名前:みなもと きみこ
年齢:29歳
出身:大阪
趣味:ダイビング、マーメイドスイム、ヨガ
経歴:超ドメスティックな大阪弁環境で高校までを過ごし、大学進学と共にグローバルな価値観や生き方を目指しだす。在学中は韓国とオーストラリアに留学し、新卒で旅行会社に就職。インバウンドを中心に業務をする中、アジアパシフィック支店に出向し、東南アジア各国でインバウンド旅行企画に奮闘。日本に帰任した年にコロナが流行し、これからの生き方を見つめなおして退職。現在世界で1番幸せなニート生活を送っています(母親とTVを見ながらイケメンに微笑む平和な毎日です)。

有名企業OLのキャリアを捨てる

わたしが新卒で入ったのは大手旅行会社。希望通りの訪日インバウンドの部署へ配属され、2年目からはシンガポールの支社に駐在。
社内の人脈にも恵まれ順風満帆のOLライフに思えた時期もありましたが、退職を決意したのは社外で通用するスキルが何もないという事実を直視したコロナ渦。業界全体がコロナという壁にぶち当たり、変革が急務となる中、年功序列最下位の若手に変革を促進する権限もスキルもなく、ただただ指示に従うばかり。

今思えば、しっかりとお給料を頂き、責任は上が取るから何もしなくていいよ感漂う環境(部署によりましたが)って究極の幸せかもしれませんね。
ただ、確実なのはこの環境は続かないということ。
既に到来した「個の時代」に刻一刻とおいて行かれているのを感じ、後70年は生きるだろう私の人生をこのまま人任せにしておくことはできないと、悩んだ末に退職届を提出しました。

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29歳、無職、夢がないことに気づく

在職期間に応募した求人は全て落ちました。自分の中で理解している原因は明確で、”やりたい仕事がない”
なぜなら5年間、目の前の仕事しか見ずに働き、アラサーとなったわたしの夢は、「素敵な旦那と結婚し、2人くらい子供を出産し、毎日ヒッチャカメッチャカになりながらも、ギャハギャハ笑い合って過ごす」というプライベートの充実にフォーカスされたものだったのです。
会社に寄りかかって生きていく前提の発想でした...

アラサーとなった今やっと、新卒就職以降に大きな夢を設定していなかったことに気づいたのです。

「いや、夢=結婚やん!」と思う時期もありました。
ただ結婚を夢(ゴール)に設定してしまうと、

『良い男性に出会うために人口の多い都市で働かないと』
『5年後には初産を迎えておきたいからライフイベントに柔軟な会社でないと』
『いや待てよ、結婚できなかった場合も考えて生涯役立つスキルが身に付く職を。未経験でも派遣社員から始めて正社員を目指そうか』

など未知の未来にいるわたし自身に出来る限り選択肢を残してあげたくて、結局何がしたい人なのか自分でもわからない状態へ。
そもそも彼氏もろくにできないくせにこんなありさま。
結婚を諦めはしませんが、結婚を夢にするのは止めました。

プレゼンテーション1

好きを見つけるため放浪期突入

職も決まってないまま前職を辞めたわたしでしたが、キャリアについて0ベースから考え直したことにより、わたしのマインドに変化が訪れました。

● 社会的にかっこいい道はこれだと引かれたレールが見えた(自分の真下に発見)
● そのレールにのっかりたくないという自分の意思が明確になった
● なんとしても好きなことを見つけるという覚悟ができた


今出ている求人の中から好きになれそうなものを探すのではなく、いるかもわからない未来の旦那に合う“わたし”を偽造するのでもなく、興味のあるものを全て全力でやってみた後で考えようと方向転換したのです。

ここから手当たり次第にチャレンジを開始し、盛大に迷走します。
退職した4月から12月までに取った行動です。

やってみた2

1つ1つに動機と結末があるのですが長くなるので割愛します。

わたしはこれでもハマるとドハマりできるタイプなのですが、見事に何もハマりませんでした。
各月毎にやろうと思うことが変わり、なりたい自分像も変わりました。
もはや占いに決めてもらおうといろんな記事を読み漁ったこともありました。

ただここでやっと得た感覚があります!

「スキルをつけなきゃ」という焦りと、求人票に掲載された必須要件に囚われて、業務内容をひたすらこなせそうなロボットになる勉強ばかりしていたこと。
わたしが見つけたいこれからの人生の夢とか目標は、その日何の業務をするかのルーティン設定ではなく、もっと大きなどんな人間になりたいかとか、社会をどう変えたいかとかそういうことなんだよなと。

「自分を取り巻く社会をどうしたいのか」という軸に立ち返る

2021年、悩んで迷走して、自分の固定観念をぶち壊してきました。

「会社と社会の制度頼りで人生を設計する」→「個として成長し、生きぬく」
「結婚・子育てを中心に人生を計画する」→「まずは自分の夢を持つ、夢にご縁をもらう」
「業務内容・ルーティンにこだわる生き方」→「社会をどう変えているかに軸をおく生き方」

前者の考え方は紛れもなくわたしが生きてきて培った知恵であり、時間をかけて建てた家みたいなものでしたが、コロナの力を借り大黒柱を残して全て改装しました。

その1本残った大黒柱が、新卒時就活の際に立てた軸であり人生ミッション、
「夢に向かって活き活きと生きている人を増やす」
コロナだろうが、アラサーだろうがブレなかった柱でした。

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上記は昔のエントリーシートをひっぱり出したもの。
「人の交流」は難しい時代となってしまいましたが、アプローチを変えてこの柱で家を建てていきます。

RAHA KENYAとのご縁

最後になってしまいましたが、RAHA KENYAについては前職同期であり憧れでもあるリホ(@Rihito_viajera)のおかげで知りました。現在RAHA KENYAの製作担当としてケニアにおり、活躍している彼女の姿を見て「やっぱりリホはすごい!」と見上げている感じでした。

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そんなリホから大阪POPUPのお手伝いの話をもらったことがきっかけ(結局お手伝いはできなかったのですが...)で代表のリエさん(@KawanoYOME)とお話しさせていただく機会をいただき、放浪期のわたしの応援をしてくださったのを覚えています。

RAHA KENYAを知って約1年半がたった今、インターンを志願した理由は、

● RAHA KENYAのコンセプトがわたしの人生ミッションと重なるから
● 今わたしが1番ロールモデルと出来る方がリエさんだから
同じように悩んでいる方々の背中をおす側になりたいと思ったから

「一歩踏み出すきっかけの」がコンセプトの会社に、どこに一歩踏み出すべきか見失った人間がジョインするのは大丈夫なのか?思いましたが、リエさん、リホそしてマーケティング担当のナミホさん(@Namiho73)が人生を自分で切り開いていく勢いや、行動力を吸収したい!という思いを大切にしたいと思います。

また、アパレルという業種を通して「夢に向かって活き活きと生きている人を増やす」というミッションを遂行してみたいと思います。

日本に帰国する時までの目標はMISIAさん並みにオーラをまとっていること!
具体的のような抽象的な言い換えをすると、

● 見返りを求めず愛せるものを見つけている
● 人の好みに合わせず自分らしさを表現できている
● これから何で稼ぐのか、経済面の道筋を得ている

長くなってしまいましたが、この記事のおかげで気持ちがまとまって、
ケニアに出発するのが楽しみです!

最後まで読んでいただきありがとうございました^^
これからしばらく何卒宜しくお願いします♪

圧縮祈り