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普通ってなに?美味しいの?

誰もが普通にはなれないし、
誰もが異常にもなれない。

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最近身の回りで「普通」が飛び交う。
「普通だったらこんな構成にはならない」
「デザインが気持ち悪い。普通が良い」
「私は普通じゃないから…」

僕は「普通って何ですか?」と問う。
問われた上司は「一般的なこと」と答える。

一般的って何だろうか。
どこの誰にアンケートを取ったのだろうか。

「それって主観ですよね?」と問う。
すると上司は説明をし始める。
上司の意見を要約すると、
デザイナー様の経験則が「一般的」であり、
僕の意見は「異常」らしい。

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たとえばの話だけれど、
アイス=バニラの人が居て、
どこの観光地に行っても、
どんなご当地アイスがあっても、
バニラ一択だった場合に、
その人は「普通」なのだろうか。

バニラアイスは王道(普通)だと思う。
どこのアイス屋にも多分置いているから。
ただ突出したバニラ愛は普通なのだろうか。
僕はその人の魅力的な個性にも思える。
上司が言うところの異常だ。

また同じような話だけれど、
愛の注ぎ方も人それぞれだし、
愛の方向も人それぞれだと思う。

ただ色濃い愛の注ぎ方や、
人対人以外の愛の方向を、
「一般的ではない」と判断する。

迷惑なんて掛けてもいないのに、
嘲笑したり、毛嫌いしたりする。
何の確証もない「普通」に縛られて。

「多様性」は時に都合が良過ぎる。
迷惑な行動(パワハラ)は個性で、
人の好き好きを異常だと言う。
マイノリティをふるいに掛けるように。

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一方で経験則は大切なことだとも思う。
経験が無ければ、失敗はないし成功もない。
経験から得られる知識は膨大だと思うし、
その膨大な知識は確かに指標にもなり得る。

ただ人は経験値を積んでも、
明確にレベルアップはしない。
力や知識は目に見えづらい。
だから経験だけで物事を全て判断し、
「正しい」に支配されると恐い。
経験則からの「普通」が完成され、
個人個人の主観が誕生するから。

「普通」の指標は個人が決めている。

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僕はこの「普通」という言葉が大嫌いだ。
「普通」は上から目線でバカにする。
僕はバカにされたって構わない。
何なら道のど真ん中で、
小躍りだってしてやるさ。
あなた達が言う「異常」な行動。

ただ僕の周りの人を傷つけないで欲しい。
そして、あなたは無闇に傷つかなくて良い。

たとえ100人が異常だと言っても、
僕はあなたの個性を肯定する。

たとえ100人にバカにされても、
僕はあなたの魅力を誇りに思う。

あなただけの魅力的な個性が、
やがて光り輝くことを信じて。

メガッパ

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