親友だった奴のこと
俺は高校時代、親友を裏切った。いや、俺の振る舞いが裏切りだと悟るまでに数年かかって、それまでは取るに足らない出来事の一つだった。だが、今、まるで自分がした虐殺の痕が遺跡から発掘されたかのような後悔の念に襲われている。
彼は一年後輩だった。
初めて出会ったのは、囲碁将棋クラブでだった。ちょっと気取った態度で将棋を指す、なんだか嫌味な奴だと思った。だが、態度とは裏腹に将棋の腕前は俺より下だった。俺は、アマチュア9級ぐらいだったと記憶しているが、あいつはそんな俺に負けたのだった。
初めての勝負が終わったとき、あいつがどんな顔をしたか、全く思い出せない。多分、悔しそうな表情を隠すために、何か嫌味なコメントを言ったに違いない。とにかく、風変わりな奴だと思った。
それから、俺はほぼ毎日部活に顔を出すようになった。将棋を指しに行くというより、奴との会話が楽しくなってしまったのだ。
俺は教室で孤立していた。なぜなのか、理由はわからない。だから、放課後の部室だけが、唯一俺の居場所だったのだ。教室で、もっと小器用に振舞っていればかりそめの友人は出来たかもしれない。だが、そんなのは。そんな技術を、俺は全く持ち合わせていなかった。
奴は、自分のことを天才だと言った。例えばアインシュタインやなんとかいう科学者を上回る天才なのだと。そんな天才が、県内でもあまり成績の良くない公立高校に何故いるのか、誰でもツッコむだろう。奴は平気な顔をしてこう返した。アインシュタインも、エジソンも学校の成績は極端に悪かったはずだ。俺は優等生的な奴とは違う。学校の勉強はできなくったって、もっと素晴らしいことができるんだ。
俺は笑った。
何故なら、俺も自分のことを天才だと思っていたからだ。受験勉強的なことは全くできないかもしれないが、何か特殊な才能があるのだ、と。そうとでも思わなければ辛くて生きていられなかったのだ、つまり現実逃避だった。お前がアインシュタインなら、俺はウィトゲンシュタインだ。
もちろん、奴は相対性理論など全く理解していなかっただろうし、俺は論理哲学論考を手に取ったことすらなかった。どちらも、何がしかの入門書で分かった気になっていただけだった。学校の勉強の方は、奴の方が若干出来たと思うが、おそらくどんぐりの背比べだっただろう。
神はいるか。
そんな話題を時々した。
俺はどこかで聞きかじった、アンセルムスの神の存在証明についての話をした。
「実際に存在するものと、仮象でしかないものとどちらが偉大か。実際に存在するものの方が偉大であるに決まっている。ところで神はその定義上最も偉大なものである。ならば、神は明らかに存在する」
俺は当時、キリスト教の歴史なんて全く知らなかった。軽々しく神という言葉を使うことなど、今となってはできないだろう。アンセルムスがどんな思いを背負ってそんなことを言ったのか、想像する気さえなかったのだから。
奴は少しだけ、尊敬の眼差しを向けてきた。おそらくアンセルムスを知っている高校生など俺一人だけだと思ったのだろう。残念ながら、そういう連中は進学校には大勢いることを後から思い知らされることになる。
アンセルムスの証明には穴がある。定義は存在の必要条件かもしれないが十分条件ではない、ということをアンセルムスは忘れている。つまり、存在は定義に先立つのであって、定義が存在に先立つのではないのだ。
何かが存在するかどうか概念操作で定義するのは、単なる恣意的行為だ。
もちろん、奴も俺も証明の穴に気がつくほど聡明ではなかった。ただ、何となく違和感を感じていただけだ。
「神か」
俺たち二人は、教室の天井を見上げた。蛍光灯がはめ込まれた灰色の天井の遥か彼方、青い空よりももっともっと遠くを、俺たちは見つめていた。そして、何か悪寒を感じて震え上がった。多分初夏の頃だったかと思うが、風邪をひいたときのように気分が悪くなった。
見下ろしている、誰かが。
そんな研ぎ澄まされた感度を、俺たちは持っていた。
それは、そのことだけは、凡百の高校生たちより優れていると、自信を持って言えた。運動神経がよくっても、日本文学の古典を暗唱できても、流暢に英会話できても、世界の支配者の存在を感じ取れるものが、この世の中にどれだけいるというのか。
奴は、中学生まで有名私立校に通っていたが、ドロップアウトして落ちこぼれの公立高校へ何とか不時着したらしい。中学生時代のことをあまり多くは語らなかった。勉強ができることなんて、ほとんどの職業であまり意味のあることじゃない、今なら自信を持って言えるだろう。だが、俺はあいつに何かひどいことを言った。何と言ったのかは覚えていないが、とにかくひどいことだ。笑って受け流したあいつの顔をよく覚えている。
当時はカオス理論というのが流行っていて、俺たち底辺のところにも興味深い情報が流れてきていた。
「なあ、俺たちで人工の地球環境を作ってみないか」
ライフゲームのような複雑な振る舞いをするプログラムが、単純な規則の組み合わせから成り立っているのだとしたら、地球だって、あるいは生命の進化だってコンピュータの中で再現できるのではないか。会話は弾んだ。俺たち自身が神になれるんじゃないかって気がしていた。
だが、そんな楽しい世界が終わる日は刻一刻と迫っていた。
どんなに目をそらそうとも、進学か就職かの選択を突き付けられる日が来たのだ。もはや部室に通っている場合ではなかった。
俺は、自分のことを過小評価していた。少なくとも、人間関係において自分が大きな位置を占めることはないだろうと、つまり、奴は俺のことなどどうでもいいと思っていると、勝手にそう結論付けてしまった。だから、簡単に縁を切ってしまった。まるで精神病を患ったかのように、俺は受験勉強に打ち込んでいった。
実際、奴は俺のことを快く思っていなかったのかもしれない。
俺が、奴に言った酷いこと。思い出せないなんて書いたが、実ははっきりと覚えている。
「お前の兄は優秀なんだね」
奴の兄は、なんでもできる人だったらしい。均整のとれた肉体を持ち、運動神経抜群で、勉強の要領もいい、と自慢げに語ってきた。なんだ、身内自慢かよと思い、思わず嫌味が口をついて出た。相手がどう感じるか、そんなことを慮る想像力が欠如していた。
当時の俺は、ネットか紙の本を読むぐらいしか趣味がなかった。記号の世界にどっぷりと浸かると、相手に嫌な思いをさせていることに気がつかなくなる。
他にも愚言を吐いたに違いない。
裏切り行為は、一挙に一回限りで終わるのではない。
じわじわと、少しずつ距離が開いてしまっていたのだろう。受験勉強は、疎遠になったことの表向きの理由に過ぎない。
あれだけ仲が良かったのに、高校卒業間近になってからは、顔をあわせることすらなくなっていた。
奴がどうしたのか、俺は知らない。
以後、あれほど歯車がかみ合った人間と出会ったことは、ない。
もう、再会は果たせないかもしれない。果たせたとしても、お互いにあまりにも違うものになっているだろう。
ただ、彼が不幸になっていないことを祈るばかりだ。
(四年ほど前に、「小説家になろう」というサイトに投稿した作品です。未だに心にひっかかっている物語です)
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