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【ミュージシャンだった人】 #565


彼はあるCMの曲を歌っていた過去がある

その曲はいっとき有名になったが
CMには彼のクレジットも無く
いつしか
音楽業界の人からも忘れられた


彼は今
故郷では無い田舎町の鉄工所で働く
過去の話はしない
家は今にも崩れ落ちそうなアパート


訪ねてくる人間もいない
同僚と飲みには行くが
カラオケBOXや
スナックには絶対に行かなかった


同僚には音楽が嫌いだからと断っていた


決して付き合いが悪いわけでは無い


此処の連中は彼が昔ミュージシャンだった事は知らない


もう歌とは別れを告げていた



あのCMソングは一応CDも発売されていた


売れなかった


だから印税も入ってこない




ある日
お金をおろそうと思って
ATMへ行った

残高がおかしい

お金が増えている

これはおかしい

臨時ボーナスか?

そんな話は聞いていない


次の日
通帳を持ってもう一度ATMへ行った

通帳記帳すると印税が入金されていた


何故だ
何故今頃になって

驚いた彼は昔の事務所に電話をしてみた



「ヤスさん探したよ
電話番号変わってるし
連絡取りようがなかったから
電話助かったよ」


「印税入ってたけど
これっていったいどうなってるの?」


「それなんだよ
もう僕も社長もビックリさ
なんかさ
YouTubeとTwitterで
バズってるみたいなんだ」


「どうして?」


「なんかさぁ
イギリスのYouTuberが
あの曲気に入って
自分のチャンネルで流したんだよ

そしたら
別のYouTuberが今度はカバーして
そこからドンドン広がっていったみたいなんだ

しかもさ
あの曲
エド・シーランがカバーしたいって
申し出があったんだよ

もうビックリだよ

だから曲を作ったヤスさんに連絡して
確認と了承を取りたかったんだよ」


「そんな事になってたんだ
知らなかったよ」


「今ネットとかで結構騒がれてるよ」


「そうなんだ
俺ガラケーだからなぁ」


「分かった
とにかく一回事務所まで来てくれないか
もちろん旅費やホテル代
その他もろもろはこっちで持つから」


「いやでも
俺もう契約切れてるじゃん」


「それも含めて
社長も話をしたいらしいんだ
あいにく今は外出中で
頼むから
とにかく一回頼むよ」


「分かった
だけど…」


「だけど何なんだよ」


「仕事してるし
職場の人間も過去の事知らないし」


「ヤスさんの名前
もうネットで出回ってるよ
バレるのだって時間の問題だよ」


「分かった
分かった
じゃあ行くよ」



彼は休みを取り
古巣である事務所へ向かった


「やぁヤスくん
久しぶりじゃないか
元気そうだねぇ」


「あっ
お久しぶりです」


「もうさぁ
てんやわんやだよ
ビックリしちゃったよ
ホントに」


「俺もビックリしましたよ
だいたいの経緯は
山田さんから聞いたんですけど
エド・シーランですか?
それマジっすか」


「マジよマジ
マジマジよ」


「で社長はどう考えてるんですか」


「それはヤスくん次第だよ
あの作品はもちろん
うちの事務所の財産でもあるけど
ヤスくんの大切な作品だから
私はヤスくんの気持ちを優先するよ
嫌なら断るし
嫌じゃなければ進める」


「カバー自体はOKです
ただし条件付けさせてもらっていいですか」


「なんだ言ってみろよ」


「ありがとうございます
もう一度レコーディングさせてもらえませんか」


「なんだそんな事か
それは良い事だ
売れるぞ」


「いや
売らないで欲しいんです
自己満になるんですが
あの曲
アレンジがちょっと納得していない部分があるんですよ
それを自分の為にとり直ししたいんです」


「えっ!
売らないの?」


「はい」


「売らないんだぁ…」


「駄目ですか?」


「いや駄目じゃ無いけど
勿体ないなぁと」


「良いじゃ無いですか
エドの方からお金入るし」


「それはそうなんだけど
勿体ない」


「エド
やめます?」


「いやいやいやいや
それは勘弁して」


「じゃあ良いですよね」


「分かった」


「それとあともう一つ」


「えっ!
まだあるの?」


「これで最後です」


「なんだ言ってみな」


「ありがとうございます
社長
今日久しぶりに会って
昔とビジュアルが違うのは
気付きましたよね」


「まぁ
そーだなぁ」


「名前だけは変える訳には行かない
でも昔の写真を見て
今の俺を見ても
名前が同じ別人だと思う筈なんです

俺は今の仕事
今の生活に満足しています
もうこの業界に戻るつもりも無いし
戻ったところでしょせん一発も売れなかったミュージシャン
需要は無い

だから
そっとしておいて欲しいです」


「分かった
2つの条件承諾した

こっちからもひとつだけお願いがある」


「なんですか?」


「これからも活動はしないが
ヤスくんは一生うちの事務所預かりの
アーチストでお願いしたい」


「そんな事ですか
良いですよ
でも社長
勝手な事だけはしないで下さいよ」


「もちろんだよ
必ず確認はとるようにするから」


「分かりました」



その後
山田さんから連絡があり
何故かエドの話は無くなってしまったらしい

あの曲も一過性で
1年も経たず終息した
それでも社長はレコーディングはさせてくれた
ただ最後まで


「売らないの?」


それは繰り返していた

出しません

俺は毎日仕事に行き
同僚と飲みに行ったりした

ひとつだけ変わった事がある

カラオケにも行くようになった

理由はレコーディングで久しぶりに歌ったら
もの凄くヘタクソになってた
笑うほどに


あの頃と全てが変わり果てた

今はハゲでデブで歌が素人にしては
そこそこ上手いよね
という程度の人間だ

とても幸せである

あの頃より






ほな!

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