『夜と霧』 最後に人間を奮い立たせるもの。


先日お勧めされて読んだ、とても衝撃を受けた本があります。

どれほどに人間は弱く脆く、同時にどれだけ強靭で強いのかを
感じさせられた本です。

そして、強烈に問われる
「生きる意味」
「人間とは何か」


「言語を絶する感動」と評されている____

ヴィクトール・E・フランクルの
『夜と霧』

「夜と霧」とは、1941年にナチスが出した総統令の名称。


この方は、フロイトやアドラーから直接教えを受けた心理学者で、精神科医でもありました。

ユダヤ人であったがために第二次世界大戦中に強制収容所に収容され、そこから生き延びた、たった数パーセントの生存者なのです。

ナチスの強制収容所についてはもう調べなくてもわかるというくらい惨たらしい事実があったことは誰もが知っていると思いますが

この本はその悲惨さをただただ世に伝えようという目的なのではなく
心理学者としての立場から、そこにいた人々___

被収容者
監督者
親衛隊
死にゆく者
生き残った者_____

の心理がどのようであったかを、淡々と、冷静に語っているのです。

あのような、現在日本に住んでいる私たちからは想像もできないような(いや、絶対にできないと思う)過酷な状況において、著者のような人間力と精神力がなければ絶対に生き残ることなどできなかったと思うのです。


実際、本を読んでいると運命が左右したところもたくさんあったようですが
(「テヘランの死神」※記事下参照 の例が私的には鳥肌が立ちました・・・)

結局のところ、人間は最後の最後には精神力だということを、この本全体を通して伝えていると思います。

収容所の中では、誰もが飢餓状態の上に朝から晩まで重労働を強いられ、誰がいつ死んでもおかしくない状況でした。そんな中で生き延びられる方が、可能性でいったらずっと少ない。

しかし、著者のように生き延びられた人は、最後まで希望と生きる勇気を失っていなかったのです。

逆に、精神的に弱く、内面に拠り所のない人々はすぐに収容所の影響に染まっていってしまった。


印象的なエピソードがいくつかありました。

何月何日までに救援が来ると信じて前向きであった青年が、その日が近づいてきて「もしかして救援は来ないかもしれない」という不安と疑念に心が折れ、その希望の日の前日に高熱を出して、あっという間に亡くなってしまったこと。

本当に希望も生きる意味も失ってしまった人は、病にかかっても治療もあらゆる励ましも拒み、ただただ動かず、死ぬその時を待っているだけになること。

食料事情や気候などの条件は大差なかったのに、クリスマスと新年との間の週に、かつてないほど大量の死者が出た。『クリスマスまでには家に帰れる』と一抹の希望を持っていた人たちが、それが叶わないと知った時に失望し、力を失ったから_____


もちろん人の体力や状況にもよると思うので、強く生きたいと思いながらも残念ながら叶わないということもあると思います。

ただ、この著者の方が類稀なる精神力の持ち主であったことと、心理学者であったので、若干一般の人よりも違った目線で事を捉えられたというのもとても大きい要因だと思うのですが、

何よりも、収容所での何年にもわたる生活の中で、彼は人間としての尊厳と生きる意味を失わず、妻の存在を、妻への愛を何よりも拠り所にして希望を失うことはなかったというのが大きいと思うのです。
(実際は、妻は収容されてすぐにガス室に送られてしまっていたのですが・・・)


特に現代に生きる私たちにとって、この本が提示する「生きるとは」「人間とは」の問いが強烈すぎて、正直本を読んだ後少し後味の悪ささえ感じてしまいます。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。私たちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ。もういいかげん、生きることの意味を問う事をやめ、私たち自身が問いの前に立っている事を思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。
129ページより抜粋

わたしたちは、おそらくこれまでどの時代も人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とは何かを常に決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。
145ページより抜粋


これらの問いに、どういう答えを出しますか?
どういう感想を述べますか?

私はまだ、この答えを持ち合わせていません。
それこそ、生涯をかけて生きることの問いに答えていくものなのかもしれません。


おそらく、この本を読んで影響を受けないという人はいないでしょう。

以前、読売新聞が行なった「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」のアンケート調査で、翻訳ドキュメント部門第3位になったというのも頷けます。
(因みに1位は「アンネの日記」、2位は「論語」)

まだ読んだことが無かったら
是非とも、読んでみてください。



ここで、文中にあった「テヘランの死神」についてですが・・・

こういった昔話です。

裕福で力のあるペルシャ人が、召使いをしたがえて庭をそぞろ歩いていると、急に召使いが泣き出しました。 
「今しがた死神とばったり出くわして脅されました。私に一番足の速い馬を与えてください。それに乗ってテヘランまで逃げていこうと思います。今日の夕方までにテヘランにたどりつきたいと存じます」と主人にすがるようにして頼みました。

主人が馬を与えると、召使いはそれに乗って逃げて行きました。すると今度は主人が館に入ろうとすると、死神に会ってしまいました。
「なぜ私の召使を驚かせたのだ、怖がらせたのだ」と言うと、死神はこう答えました。 

 「驚かせてもいないし、怖がらせてもいない。驚いたのはこっちだ。あの男に、ここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」

_____そのまま主人の庭にいれば、死神に殺されなくて済んだのに、わざわざ死ぬ運命のテヘランを自ら選んでしまった・・・


一見良かれと思った選択肢が、実は真逆で破滅の道だった、という。


本の中でも、ガス室送りだと思って収容所を移送されたが実はそんなことはなく本当にただ移送されただけで、逆に元いた収容所が極度の食料困難によってほぼ全員餓死した

解放間近になって救援の車がきたと思ったら、自分と仲間数人だけが乗れずに取り残されてしまった。半ば絶望とともにその場に残っていたら後日本当に解放され、救援の車に乗っていった人たちは実は別の収容所に閉じ込められて火をつけられていた・・・

など

著者もこの「テヘランの死神」的な体験を何度かされたみたいです。



運命というものは、

本当にわからないものです。

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