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路線図とGoogleマップ

中学3年の夏休みに突如、祖父母に会いに行こうと思った
僕の中でのドラマとかのイメージだと祖父母の家は田舎だ
電車に数時間揺られオニギリやお菓子、水筒などちょっとした食料を持って目的地を目指す
祖父母の家につけば優しそうな日本のおじいちゃんとおばあちゃんって感じの人が笑顔で迎えてくれる
そして、スイカや桃など夏の果物を沢山出してくれてそれを食べる孫を笑顔で見守る

だが、僕の祖父母の家は、我が家よりも都会にあるし、電車で30分くらいと比較的近い

それでも当時の僕にとっては冒険だ
初めて一人で乗る電車
つまり、切符を買わないといけない
今と違ってPASMOやSuicaでピピッと改札を通るなんて事は出来ないのだ

路線図と格闘しなければならない
乗り換えもあるので複雑だ
路線図は大きく行ったことも見たこともない駅名が沢山ある
そこには未知の世界の広がっているの

券売機の目の前で悩むことは出来ない
他のお客さんが後ろに並ぶとプレッシャーが凄いからだ
券売機から少し離れたらとこから数台ある券売機やその上にある大きな路線図を眺めること数分
僕は諦めた
駅員さんに切符の買い方を聞くのが無難である

無事に切符を買い、進行方向を確認してホームに行く
急行や快速など色々な種類があるので普通のに乗る
間違って特殊な電車に乗り、降りたい駅でとまらなかったら絶望でしかない

ようやくホームにやって来た電車の横に表示されてる所を確認してから乗り込み路線図が見える席に座る
地下鉄なのに乗ってから数分は外の景色が見れるので街を眺め、つかの間の休息を楽しむ

地下に入ると一気に雰囲気は変わり、怖くなる
あの閉鎖感
もしかしたら、このままずっと電車から降りられないのでは
そんなあり得もしない妄想をしながら中吊り広告や左右の上部にある広告を見る

人間は、その時、自分が気になっている事が目につくものだ
中学3年生の僕には、塾や高校の情報がイヤでも入ってくる
進路は決まっていたものの他の高校に行きあの写真の制服を来て、あんな綺麗な校舎で共学なんて羨ましいなぁとか
僕も来年からは電車通学かなんて想像する

そんな事をしてるが電車が駅にとまるたびにホームに書いてある駅名を確認し、車両内にある路線図で間違ってないかを確認する

乗り換え駅に着き、記憶の中にある通路と現実の通路を照らし合わせながら歩き進む
無事に通過点の改札につく
そこが難所でもある
切符の買い方を間違えていれば凄まじいブザー音と共に改札の扉が閉まる
ちなみにその扉の正式名称は、フラップドアと言うらしい
緊張しながら切符を改札に通す
何事もなく切符が受け取り口に出て来てホッとするが呑気に安心してられない
切符は、恥ずかしがり屋なのかすぐに取らないと中に入ってしまうのである
初めてその光景を見た時は、子供の頃に行った動物園のプレリードッグを思い出したもんだ

そんなこんなでなんとか無事に目的の駅まで着き、地上に出た時の夏の容赦ない陽射しと暑さは、達成感のようにも感じられた

僕の突然の訪問、しかも、一人で来たことに祖父母はとても驚いていたがそれ以上に喜んでくれた
特に祖父は仕事があるのにお昼からビールを飲んでしまったくらいだ
それから月に一回は、遊びに来るように言われてそうすることになった

あれから18年はたつのだろうか
僕は、あの頃から何も変わっていない

路線図を見た時に感じた世界の広さ
まだ行ったことない土地に行ってみたいが行けない自分
それはまだ見ぬ地への恐怖なのか
興味はあるがそこまで行きたくないのか
単純にめんどくさいのか
きっと行ってしまえばなんともないのである

Googleマップはそれを思い出させてくれる

そんな事を雨で少し涼しくなった朝に設定温度を41℃から42℃にかえたシャワーを浴びながら考え、ほてったままの体で外にボーッとしに行き、外気音で冷ました

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