SNSアカウントの人格。

特に何の節目というわけでもないけれど、なんとなく。

気付いたら、Twitterのフォロワー数が2,500人を超えていた。

この数が多いのか少ないのか。
Twitterでバズったときに使われる「ちょwお前w有名人じゃんww」というテンプレがあるけれど、まぁたかだか4桁、有名人を気取るつもりはありません。

フォロワー2,500人という数は、「水族館ファン」「アクアリスト」というカテゴリーの個人アカウントとしてはそこそこ多いのかもしれないけれど。
でもね、年間何万人が水族館に足を運んでいるのだよ、と。そのせいぜい1割未満の数字でしかなく。
ぼくがゆるっと伝えたいことは、まだまだ全然、「届けばいいな」という層には届いていないのだ、きっと。

さて。
別に「フォロワー多い自慢」をしたいというわけでもなく。

まぁまぁ長くSNSをやってきて少しずつフォロワー数も増えてくると、なんというか、リアルの世界の自分とは少し違う人格がそこに芽生えてきますね、という話。
別にそれを望んでいる訳では決してないのだけれど、それはそれで仕方ないことかなー、と割り切っています。

フォロワー数のたぶん8割くらいが「実際に会ったことのない人」だし、半分以上は「SNS上でも言葉を交わしたことのない人」だと思うので。
何度も顔を合わせて、飲みに行って言葉を交わして、みたいな人間関係とはまた別の関係性が成立しているのでしょう。(そこのところを安易に踏み越えられると時々「イラッ☆」としてしまう訳なのですが、ごめんなさい。そしてこっちも気付かないところで、誰かの一線を踏み越えてるんだろうな)

1980年代生まれの自分は「SNSネイティブ」ではなく、生身の人間関係をついついSNS上での繋がりにあてはめてしまいそうになるけれど、それはちょっと違うのだろうな。
自分より若い世代の友人が、そのあたりを器用に使い分けているのを見ると「すげぇなぁ」って思う。

まぁここら辺、本来は世代に関わらず使う個々人の素養の問題で、わかりやすい世代間論にすりかえてしまうのもよくないのだろうと思いますが。

Twitterアカウントに関しては、元々は淡々と「水族館でこんな魚を見たよ・撮ったよ」「こんな展示めっちゃよくない?!」ということだけを垂れ流すアカウントにするつもりだった。ある意味、無機質で無人格なアカウントでいいかなーとすら思っていました。

有難いことにフォロワーさんとのやり取りも増え、冗談や軽口を叩いているうちにそこに少しずつ人格が芽生え。
COVID-19でリアルな対面が減り、感情を吐き出す場としてSNSを使うことが少し増えたのかもしれない。そして「定期的にツイキャスをやる」というミッションを自分に課したことで、文字と写真だけでなく肉声がそこに加わった。ますます「リアルな自分」との切り分けが難しくなってるし、逆に「リアルな自分」との乖離を感じたりもする。

たぶん、そーゆーことなんじゃないかなー、と思っています。
SNS上を漂う「アルさん」とリアルな世界を生きる「アルさん」とは、似てるけど少し違う生き物なのかもしれません。

ところでぼくのSNSへの入り口はmixiだった。
もう何年もログインしていないけれど、10代後半~20代前半のころに垂れ流したあの恥ずかしい塊は、鍵をかけたアカウントのまま今でもネットの海をさまよい続けているのですね。。。
いま読み返したら少しは新しい発見もあるのかもしれないけれど、決して開けたくない、パンドラの箱。

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