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恐怖で以て恐怖を制す

皆さん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


さて「STAY HOME週間」最初の連休ですね。

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

私は久々に、ホラー映画にはまってしまいまして、Amazon Primeで鑑賞したり、はたまたBGMとして聴きながら、noteを書いていることもあります。

皆さん、ホラー映画は目を開けて見ていられる人ですか?

それとも、怖いけれど、手のひらで顔を覆いながら見る人ですか?


私にとって、ホラー映画は、癒しの1つになっています。

どの辺りが、癒しなのかと申しますと、

誰しもに起こる理不尽さを、容赦なく表現してくれるからです。



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虚しいある日、ホラーと出逢う

私がホラー映画に出逢ったのは、中学1年生で、いじめが原因で教室に上がれず、別室登校をしている時でした。

いじめに負けず、クラスに入り、立ち向かえば立ち向かうほど、陰口を聞こえるように言われたり、まるで汚物を扱うような接し方を受け、次第に教室に入れなくなったのです。

別室登校では、その時の辛い気持ちに、寄り添ってくれる先生がいたのですが、どうも、それだけでは「安心感」が満たされませんでした。


その時に、何でもいいから、心が満たされる感覚が欲しかった私は、休日にTSUTAYAに行き、何か面白そうなDVDを探していました。

特に何かを思ったわけではないのですが、何だか、店舗の奥の方に行きたくて仕方がなかったのです。

その店舗は、一番奥にスタッフルームがあったのですが、そのスタッフルームの前のコーナーに、強く心惹かれたのです。

「ホラー・・・映画、か。」

私は、ア行のタイトルから丁寧に、どんな映画があるのかを観察しました。

所々に「レンタル中」という表示のケースがあるけれど、そんなに進んで借りられている様子はありませんでした。

「どうせ何観ても一緒だろうけれど、観てみようかな・・・。」

2枚のホラー映画DVDを借りて、その夜から、見始めました。


この時を以て、私とホラー映画の素敵な生活の、幕が上がったのです。



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私のホラー映画遍歴

ホラー映画と言っても、一言でまとめるのは、難しいですよね。

オカルトホラー、スプラッターホラー、SFホラー、サスペンスホラーetc・・・

いろいろなジャンルのホラー映画を観ましたが、やはり好きなものは何度でも観てしまいます。


私が初めて観たホラー映画は、下の2つでした。

エクソシスト

オーメン

どちらもオカルト系ホラーの金字塔として知られています。

特に、エクソシストの方は、観てから2~3日は乳製品の飲み物が飲めなくなるくらい、非常に衝撃的なものでした。

ただ、見終わった後は、とても晴れやかな気分でした。


「どんなに自分が信じているものに、助けを求めても、必ずしも自分が思い描いたような、救いの手が差し伸べられるとは、限らない」

これらの映画にはまっていた時期に、教室に戻るため、担任の先生と話し合いを重ねていたのですが、話を聞いて貰う間、ずっと目の前で煙草を吸われ、空返事ばかりされていました。

「こうした支援をして欲しい」と何度も話しても、正面から話を聞いて貰えず「どうして、ちゃんと聞いてくれないんですか!!」と言っても「聞いてる聞いてる。」と言われるだけでした。

助けて欲しいから、本当のことを言っているのに、全然取り合ってもらえない。

私は「担任の先生は、助けてくれる気など無い」という事実から、目を逸らしたかったのです。

ですが、ホラー映画を観ると、嫌でもその事実に向き合わざるを得なくなったのです。

ホラー映画では、ほとんどの登場人物が助からず、助かったとしても、何かしらの肉体的な、あるいは精神的な傷が残っている描写が多いです。

そう学んだことで、その事実に向き合い、担任の先生に見切りをつけることができ、別室登校の担任の先生に、学年末まで持ってもらえることができました。

それがきっかけで、新学年では、通常登校に戻れました。


また、上記の2つの映画を観ていて、恐怖を仕掛ける側の心理描写に、興味を持ちました。

そこで、ホラー映画の被害者だけではなく、加害者の描写もあるホラー映画を探しました。

そして、以下の2作品も、私の中の、ホラー映画殿堂入りになりました。

羊たちの沈黙

ハンニバル

(映画のジャンルは、「サスペンス」に振り分けられるのかもしれないですが、「サスペンスホラー」というジャンルに振り分けられていたので、ここでは「サスペンスホラー」としてご紹介させていただきます)


この2つはシリーズもので、主人公が対峙する相手、ハンニバル博士の「悪」に対する美学が「怖い」を通り越して、

「中身が空っぽな性善説よりも、よっぽど癒されるなぁ」

と思ったほどです。

お世辞を例にすると、ちょっとしたコミュニケーションを取るのにはいいのかもしれませんが、中身はありません。

私が「お世辞」や「建前」の交流に、違和感を感じていた理由に、だんだん輪郭が見えてきたようでした。


日本のホラー映画も「不気味さ」が魅力的な作品がたくさんあります。

私が観ていたのは

呪怨(劇場版)

呪怨2(劇場版)

です。

まさに、理不尽で不条理極まる、呪いのオンパレードです。

いい人であっても、悪い人であっても、その呪いに触れれば、みんな平等に呪われていきます。


視えないものの前では、人間はみんな一緒に見えるのかもしれないです。

それが分かった時には、

「呪いっていうレベルになって、私も他の人と平等に扱われるんだな」

と、思いました。

いじめを経験したことによって、私はダメな人間だから、いじめの的になったんだなと、社会に嫌われたんだなと、諦めていた部分がありました。

ですが、呪いはみんな平等に降りかかり、みんな助からなかった結末を観たことによって、

「この呪いは、私も平等に扱ってくれた」

という、安心感が残りました。


私の中の「社会に対する恐怖」を、「呪いの恐怖」が和らげ、生きやすくしてくれたからです。



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「恐怖」という誠実さ

ホラー映画には、ハッピーエンドで終わる話はほとんどありません。

「それでは気が滅入る!」からと言って、主人公が恐怖を乗り越えるために、誰かと行動するとか、一緒に恐怖に立ち向かってくれる人ができるとか、そんな美味い設定は求めたくありません。

容赦なく、物事が上手く運べない現実、次々に消えていく身近な人、という世界を、徹底的に作り上げて欲しいと思っています。


ホラー映画の中でも、

願えば誰かがどうにかしてくれる、

誰かに任せていたら良いようになる、

いずれ収まる、

という思考に、全面的に甘んじて、現実から目を逸らした末に、「恐怖」が独り歩きするまでに増大し、人に危害を加えられるような「力」を持つのだと思います。


身に迫る危険が体感できてから、人は初めて、本気で動き始めます。

誰かに「大丈夫だ、何とかなる!」と言われてから動き始めるのでは、遅いのかもしれません。

「恐怖」は、そんな切迫した状態を、オブラートに包まず、直に教えてくれるのです。

このままでは、手遅れになると。

そういう点において「恐怖」に清らかな「癒し」を感じたのです。

中途半端な楽観よりも、誠実だと感じたのです。


ホラー映画は、そういう場面を、仮想の現実で再現し、恐怖と向き合わなかった時の人間に対する代償を、教えてくれているのかもしれません。


これを書いていたら、ホラー映画を観たくなりました😊

癒しを求めて、観に行ってきます!



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トップ画像は ますみゆたか/真澄悠貴 様からお借りしました。

ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

皆さん、好きな映画を観て、癒されてくださいね!

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