見出し画像

「note」が変えた、母との関係

みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


最近は、録画した好きな番組をBGMにしながら、noteを執筆することが多いです。

ふと気になる単語を耳にした時、手が止まってしまい、思わず見てしまうのですが、そこから新たな発見を得たり、書いてみたいネタが見つかることがあります。

一見効率が悪い作業方法に見えますが、それもまた「楽しい」と思いながら作業ができているので、いいかなと、思っています。


みなさんは、身近な人に「自分がnoteをやっている」ことを話すことはありますか?

「は?何言ってんの?!言うわけないじゃん!!」

「一応知ってもらっているよ~。」

「ここが自分の心の”居場所”だから、周りには知られたくない。」

画面の向こうで、様々な反応してくださったことと思います。


ちなみに私は、家族、いとこ、主治医、本当に親しい友人に、noteで発信していることを告げました。

こうして投稿するのは、私がパソコンに向かってキーボードを打っているのですが、「私がnoteを書いていること」がきっかけで、周囲の人と、深く会話する機会が増えたのです。

特に母とは、劇的に関係性が変わりました。



📝

これを始めた当初は、絶対に言わないつもりでした。

ご経験がある方がいらっしゃるかもしれないですが、noteを執筆していることを告げたとして

「あっ、そうなんだ・・・」

「よくそんなしんどいことできるよね!」

という反応をされるのを、「自分の身近な人で」わざわざ見るのが嫌だったからです。

おそらく、そう言っている本人たちは、何も相手を「傷付けてやりたい」という意図はないと思うのですが、受けた側はショックを受けることがあります。


「反応をくれないかもしれない」から、言わないでおこうと思ったけれど、「自分の身近な人で、信頼の置ける人」だからこそ、勇気を出して言ったのに、反応が薄かったり、自分の好きなことを”しんどいこと”だと言われてしまうのは、自分の心に、少なからず突き刺さる部分があると思います。

その時点で、「自分がnoteをやっていると言ったとしても、相手はそもそも、自分のやっていることに興味などない」と思えたら、楽なのかもしれないです。

ですが、人間同士のやりとりは、もっと複雑な感情のやり取りがあるので、それで綺麗に片付けられないのが、実際の所なのではないかなと、感じるのです。

また、言葉を発した側も、本当に予想外の事態を聞いて、言葉に詰まったのかもしれないですし、自分にはできないことを、こつこつと続ける「私」の姿を見て「じゃあ自分はどうなんだろう、なにかそうやって夢中でできてること、あるのかな・・・」と考えているかも知れません。


その部分を、じっくり考えられたらよかったのかもしれないですが、当時の私には、そうした余裕はありませんでした。

その当時は「自分は自分を生きる。楽できるからという理由で、みんなといたいからという理由で、考えずに生きることに迎合しない。」と決心した時だったので、家族をはじめとした、周囲の人との会話や行動のズレに苦しんでいました。

そのような「ズレ」が苦しくても、私は私の意志に従いたかったのです。

意地を張っているように見えるかもしれないですが、実際、意地も張っていたかもしれないです。

「どうなるかわからないけれど、私はnoteを続けたい」

その一心で、noteに投稿したり、設定を整えることに、打ち込んでいったのです。


そこに打ち込むことで、私は私自身の「負の感情」

あんたなんか、どうせなんにもできないよ

という呪縛を、誰にも頼らず、自分で解きたかったのです。



📝

そうしてしばらく、こそこそ更新していたわけですが、このキーボードを打つ音を、母はしっかり聴いていたようです。


母とは、私がHSP気質を持っている事をきっかけに、話す機会が増えたのですが、「どう生きていきたい」とか「未来をどうしていきたい」といった会話には踏み込めず、私が世間一般が言う「普通」とは違うことに、ショックを受けていました。

最初は、認めてくれない母に、怒りや悲しみといった感情がありましたが、次第に「認められなくていいや」という気持ちになりました。

母も一人の人間であり、考えや価値観、好き嫌いがあります。

私が自分の「好き」や「考え」を否定されると嫌だし悲しいと思うのと同じように、母も自分の「好き」や「考え」を否定されると傷付くと、気が付いたのです。

母と、物理的にも、心的にも、距離が離れることを覚悟しなければならないという気持ちを持って、noteの更新を進めていました。


そんなある日、母が一粒のチョコレートと手作りのクッキーとホットココアを、パソコンの画面に夢中に向かう私のそばまで持ってきてくれたのです。

いつも私自身が、好きなお菓子を持って行くのをわかっているはずです。

私は何が起こっているのかがわかりませんでした。


「・・・自分で取りに行ったのに、ありがとう、持ってきてくれて。」

「今、綺羅が何をしているかはわからないけれど、毎日楽しそうで、一所懸命に頑張っているのね。私も一人の人間だけど、その前に、”あなたの親”でもあるから、なにか協力できることがあったら、言ってね。」

「うーん・・・教えてもわかんないと思うよ。」

「教えてくれなくてもいいわ。綺羅が元気でいてくれるならそれでいいし、教えてくれないところも、きっと魅力になるわ。」


自分一人で頑張ろうと思っていたのに、noteのことを言いたくて仕方がなくなったのです。

それは「もういいや、どうせわかって貰えないし、言っちゃおう」という気持ちからではなく「わかって貰えなくても、私が今していることを知って欲しい」という、今まで感じたことのない気持ちからでした。

今なら、言っていいかもしれない。ううん、どんなことをしているか、知ってもらいたい。

と、強く思い、ここで初めて、母にnoteを更新していることを告げました。

なるべく分かりやすい言葉で、丁寧に、ゆっくりと、「ここまで噛み砕かなくても、いいんじゃないの?」と思うところまで、とにかく言ってみることにしたのです。

HSPのことを日常の出来事絡ませて発信したいことや、note続けたいと思う信念や、創作活動を通じていろいろな人と出逢いたいと思う夢を、全て話しました。



📝

この出来事をきっかけに、母はnoteのみならず、私がしようとすることに関して、応援してくれるようになり、普段から「生き方について」とか「家族としてどのように過ごしていくか」とか「生死について」といった、深い会話ができるようになりました。

それだけでなく、母は元養護教諭なのですが、その知見からの知識や考えを、教えてくれるようになりました。

おまけに手作りのお菓子で、「休憩してね」と言ってくれたりします。


「あんまり無理しなくていいよ。元々家事とか、得意じゃないんだから。私も適当にやるし。」

というのですが、

「綺羅がnoteを続けるのを見て、私ももう一度学び直したくなったのよ。noteを書いている綺羅は”いい表情”をしているから、それを見続けるために、できることをしているだけ。私が勝手にやっているだけだから、気にしないで♪」

と、すごく嬉しそうな顔をして言ってくれるのです。

こういう関係性を、どのような言葉で言い表わせるのかが難しいのですが、

心の距離がとても近くなった

と、感じるのは確かです。



📝

「あなたの家族が、たまたま良かっただけなんでしょ。」と言われれば、そうだと思います。

ただ、自分が”よかった”と思えるまでに、自分が手放したくないものを賭けて、「更に関係を深められるか」「縁が切れるか」という勝負に出るのは、正直怖かったです。

家族の縁を切らないといけないかもしれない、家を出て行かなければならないかもしれない、こんな時間をもう過ごせないかもしれない・・・

そう思いながらでも、自分の意志を通していましたが、夜になるとそうなった時のことが思い浮かばれて、布団の中で号泣していました。


私は、”note上で”という立場にはなるのですが、フォロワーさんや他のクリエイターさんが「こんなこと始めました!」「実はこんなこと続けています!」という何かを知ることができたら、応援したいです。

あなたがそうして、夢中に何かに打ち込んでいる姿に、魅力を感じるからです。

絵でも、動画でも、音楽でも、文章でも、夢中で何かを打ち込んでいる人は、とても素敵です。

その姿を見て、私も自分をいつまでも磨いていたいのです。


創作活動をしている全てのみなさんへ。

今日も創作活動をしてくださって、ありがとうございます。

その姿を見ることができて、私は今日もあなたから元気を貰えます。

顔は見えないけれど、あなたの創作活動を応援しています。



📝

トップ画像は ざわけん様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからの、スキやコメントやフォローが、私が元気に動けるモチベーションになってくれます。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、いい創作活動を!



この記事が参加している募集

習慣にしていること

いただきましたサポートは、自身のクリエイターとしての活動費と他のクリエイター様へのサポートを中心に、みなさまに、私が経験してきたことのおすそわけをさせていただくための、記事をはじめとしたいろいろな創作制作費に、使わせていただきます❁