暴れる言葉を、川に流そう
皆さん、こんばんは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
ついに今日、やっと例のマスクが届きました。
「え!私まだ届いてないんだけど?!」な状態の方も、いらっしゃるかもしれないですね。
田舎ではありますが、まだ一向にマスクが店先に出されない状況が続いていますので、とりあえず物資の面は一安心といった所です。
今日は、なんだか気分が沈んでしまいます。
そういう時があってもいいのだし、そういう感情になる自分を、以前はイライラの対象だったのですが、今はただ受け止め、感情の波が落ち着くまで待っています。
それでも、noteを開いて記事を書くのは、こうして文章を綴っている間は、ある一定の距離を、自分自身に対して置けるからだと思います。
☁
苦しい時、悲しい時、辛い時、寂しい時・・・
私は、普段絶対に人には言わないような「暴言」を吐き出します。
もちろん、人前ではしないですよ(笑)
どんな「暴言」だって、自分が心の奥底で感じたことは、形はどうであれ、自分の「心の声」であることには、変わりないと考えています。
「暴言を吐く」ことは、一方的に「悪いこと」だと、決めつけていました。
うつ病が寛解した後でも、自身がHSPとわかった後でも、それは何らかの「してはならないこと」として、私の中で、大きな鎖が巻き付いた十字架のようなものが、横たわっていたのです。
「これは出してはならないものだ。外に向けて、出してはいけない・・・」
自分の中の声は、一所懸命に叫んでいるのに、その声を発する口を、無理矢理に塞いでしまうことがあります。
「人が知ったら、周りから人がいなくなる。そんな状態では、私、生きていけない。」
と、どうしても、他人に生きる軸を置きたくなってしまう時があるのです。
苦しいと分かっていても、悲しいと分かっていても、それでも、人と同じようにしたいという、不安で不安で仕方が無い、自分がいるのです。
その不安が「暴言」になって、現れるのかもしれないですね。
「不安」な気持ちを「どうか、なかったことにしないで!」という、自分からのメッセージかもしれないです。
言葉が暴れてしまうほどに、無意識に自分自身を、追い詰めているとも、考えられます。
以前の私であれば、それを黙殺して、過ごしていたと思います。
ですが、自分自身に向き合う時間ができて、丁寧にもつれた糸を解くように、自分の気持ちを見てあげると、よく泣いています。
「私は私に大切にされたいの!」と、大声を上げて泣いているのです。
向き合う時間が増えたとはいえ、きっと今まで、散々無視してきたのだと思います。
じっくり向き合い始めて、まだ3ヶ月にもなりません。
内なる自分は、私に言いたいことがたくさんあるはずです。
きっと、内なる私の声を、「私」が納得いくまで向き合い受け止めてあげることが、彼女への癒しになると、思うのです。
どうすればいいのか、方法は分かっています。
誰に何を言われ思われても、私は私を愛して、声を聴き続ける。
喜びたい時は思いっきり喜ばせて、泣きたい時はめいいっぱい泣かせてあげたい。
言葉が暴れるほどに感情をせき止めている方が毒なのだと、思います。
自分で生成してしまった毒で、自分の心が死にそうになるなんて、笑えません。
感情をせき止めないで、流れる感情の川に「暴言」を流してしまおうと思います。
そこは、皆さんにコメント等でいただいた、暖かい想いが流れている所だと、思っています。
きっと、あたたかな水と川の流れで「暴言」は暴れることができなくなって、「言」だけになって、また、私の元に帰って来ると思います。
今度はその「言葉」を、自分にも、相手にも、周りにも、生かせるように使うことこそが、内なる私の、願い事の一つです。
いつも以上に、まとまりがない文章になってしまいましたが、私は今日も記事が書けただけで嬉しいので、万事OKです!
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トップ画像は すぴー様 からお借りしました。
ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
皆さん、どうかご自愛くださいね。
いただきましたサポートは、自身のクリエイターとしての活動費と他のクリエイター様へのサポートを中心に、みなさまに、私が経験してきたことのおすそわけをさせていただくための、記事をはじめとしたいろいろな創作制作費に、使わせていただきます❁