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暴れる言葉を、川に流そう

皆さん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


ついに今日、やっと例のマスクが届きました。

「え!私まだ届いてないんだけど?!」な状態の方も、いらっしゃるかもしれないですね。

田舎ではありますが、まだ一向にマスクが店先に出されない状況が続いていますので、とりあえず物資の面は一安心といった所です。


今日は、なんだか気分が沈んでしまいます。

そういう時があってもいいのだし、そういう感情になる自分を、以前はイライラの対象だったのですが、今はただ受け止め、感情の波が落ち着くまで待っています。

それでも、noteを開いて記事を書くのは、こうして文章を綴っている間は、ある一定の距離を、自分自身に対して置けるからだと思います。



苦しい時、悲しい時、辛い時、寂しい時・・・

私は、普段絶対に人には言わないような「暴言」を吐き出します。

もちろん、人前ではしないですよ(笑)

どんな「暴言」だって、自分が心の奥底で感じたことは、形はどうであれ、自分の「心の声」であることには、変わりないと考えています。


「暴言を吐く」ことは、一方的に「悪いこと」だと、決めつけていました。

うつ病が寛解した後でも、自身がHSPとわかった後でも、それは何らかの「してはならないこと」として、私の中で、大きな鎖が巻き付いた十字架のようなものが、横たわっていたのです。

「これは出してはならないものだ。外に向けて、出してはいけない・・・」

自分の中の声は、一所懸命に叫んでいるのに、その声を発する口を、無理矢理に塞いでしまうことがあります。

「人が知ったら、周りから人がいなくなる。そんな状態では、私、生きていけない。」

と、どうしても、他人に生きる軸を置きたくなってしまう時があるのです。

苦しいと分かっていても、悲しいと分かっていても、それでも、人と同じようにしたいという、不安で不安で仕方が無い、自分がいるのです。


その不安が「暴言」になって、現れるのかもしれないですね。

「不安」な気持ちを「どうか、なかったことにしないで!」という、自分からのメッセージかもしれないです。

言葉が暴れてしまうほどに、無意識に自分自身を、追い詰めているとも、考えられます。

以前の私であれば、それを黙殺して、過ごしていたと思います。


ですが、自分自身に向き合う時間ができて、丁寧にもつれた糸を解くように、自分の気持ちを見てあげると、よく泣いています。

「私は私に大切にされたいの!」と、大声を上げて泣いているのです。

向き合う時間が増えたとはいえ、きっと今まで、散々無視してきたのだと思います。

じっくり向き合い始めて、まだ3ヶ月にもなりません。

内なる自分は、私に言いたいことがたくさんあるはずです。

きっと、内なる私の声を、「私」が納得いくまで向き合い受け止めてあげることが、彼女への癒しになると、思うのです。


どうすればいいのか、方法は分かっています。

誰に何を言われ思われても、私は私を愛して、声を聴き続ける。

喜びたい時は思いっきり喜ばせて、泣きたい時はめいいっぱい泣かせてあげたい。

言葉が暴れるほどに感情をせき止めている方が毒なのだと、思います。

自分で生成してしまった毒で、自分の心が死にそうになるなんて、笑えません。


感情をせき止めないで、流れる感情の川に「暴言」を流してしまおうと思います。

そこは、皆さんにコメント等でいただいた、暖かい想いが流れている所だと、思っています。

きっと、あたたかな水と川の流れで「暴言」は暴れることができなくなって、「言」だけになって、また、私の元に帰って来ると思います。


今度はその「言葉」を、自分にも、相手にも、周りにも、生かせるように使うことこそが、内なる私の、願い事の一つです。



いつも以上に、まとまりがない文章になってしまいましたが、私は今日も記事が書けただけで嬉しいので、万事OKです!



トップ画像は すぴー様 からお借りしました。

ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

皆さん、どうかご自愛くださいね。

いただきましたサポートは、自身のクリエイターとしての活動費と他のクリエイター様へのサポートを中心に、みなさまに、私が経験してきたことのおすそわけをさせていただくための、記事をはじめとしたいろいろな創作制作費に、使わせていただきます❁