<Vol.102>手技の世界における問題点〜セラピストの皆さん、気を付けましょう〜
こんな動画を見つけました(→「これが肩甲骨はがしだ」)
ぜひ覗いてみてください。
皆さんがどう感じたか…は一旦置いておいて、、
ここには手技の世界における問題点がぎっしり詰まっているなぁ…と個人的に感じました。
今日はこのことについて深掘りしてみようと思います。
<手技の世界の問題点>
手技の世界というのは「宗教の世界観」にとてもよく似ています。
それぞれのセラピストにはそれぞれに信じるものがあり、さらに言えば最初に信じたものを信じ続ける…という慣習が存在しています。
これは別に悪いことでありません。
ただし、度が過ぎてしまうと、あまり良い相乗効果を生み出さない傾向にあります。
宗教においても、最初の出発点は皆「幸せになること」です。
しかしながら、徐々に「どのように幸せになるか」の方法論へと話が及び、ひいては「幸せとはこうあるべきだ」の正義が姿を現し始めます。
するとその正義と正義がぶつかり合い、結果として当初の目的(幸せになること)から逸脱する方向へと進んでしまうことが起こります。。
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これはセラピストの世界も同じです。
キャリアを積み、実績を上げれば上げるほど、独自の世界観や自己理論が徐々に出来上がります。
そして自己理論に自信をもてばもつほど、他者理論を否定したくなる気持ちが湧き出てきてしまいます。
「そんなやり方はだめよ。私のやっているやり方が一番正しいの」
この言葉は魅力的ですか?
決してそうは言えませんよね。
自分に信じているものがあるように、他者にも信じているものがあることを忘れてはいけません。
「私が正しい」と主張することは「あなたは間違っている」と(暗に)否定していることを自覚しなければなりません。
手技の世界における最大の問題点は、まさしく”ここ”にあります。
そして前述した動画から感じられる、うっすらとした後味の悪さの原因もまさに"ここ"にあります。
この傾向は、
・キャリアの高い人や長い人
・各団体の代表を務めるような人
・教育に携わるような人
こういった人々により顕著に存在しますから、十分気をつけなければなりません。
<手技は手段である>
だからこそ、誤解を恐れずこう言いたいと思います。
「いいんです、手技なんてなんでも。手技は目的に導くための”手段の1つ”に過ぎないわけですから」
このやり方もある、でもあのやり方もある。
目的が同じであれば、やり方(手段)は自由です。
そして何より、他者を否定することから生まれる自己の優位性は、おそらく自分が思っているほど魅力的には映っていません。
セラピストはやっぱり優しくないと。
優しさは強さですが、強さは優しさではありません。
このことを僕自身もしっかり胸に刻んでさらなる精進を重ねたいと思います。
皆さんもぜひ気をつけてみてください^^
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