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自己決定は味のきめて

自分で決めてきた結果、今の状況がある

ぬんさんからのこの言葉でハッとした。ちょっとニュアンス違うかもしれないけれど。

私は今まで他人軸で生き、ほぼ全ての決断を他人にゆだねてきた。
就活でも過度に会社を信じて入社し、裏切られた気分にもなった。
でも選んだのは自分。誰も心配なんてしてくれなかった。

他人が責任を取ってくれるわけではないのに、
何をやっておるんだと。
さっき北原さんの動画も観たけど、私はテイカーやな、と。
今までなんとなくだったのが、はっきりと気づけてよかった。

「自分を信じられない人はテイカーである」

ぬんさんの言葉だけど、ここにもつながるな、と。

力を解放できていない自分。
本当は自分の足で歩いていけるはずなのに、自分自身がブレーキをかけているんだ。"まだ"怖いって。



これを打ち明けるのも怖い。けれど、本来の自分に戻るため、おもいきってここに出させていただくことにした。



じゃあ、どうすればいいのか。
マインドが整っていないんだ。

ビジネス進めるのも大切。
自分と向き合うことも大切。
でもスタンスが整っていないと、何やっても効果はない。
学ぶ姿勢があるように見えて、口だけの私。
不義理をどれだけ働いてきたのだろう。
どれだけ自分の頭で考えてこなかったんだろう。
どれだけ許可待ちしていたんだろう。

やりたいことに向かうためには、うんうんとうならないと成長しない。
自分で思考し、悩み苦しんで初めて成長できる。
たしかに観念や思考のクセがあるのは事実。
「でも」「どうせ」「だって」の3Dと言われるこの3つを私はよく使いそうになる。
ここでも言うだけにならず、小さくてもいいから少しずつ積み上げていくことを大切にしたい。



今日はこんな言葉もいただいた。

病気の中に私があるのではなく、病気よりも大きな私がいる

私は病気であることで、より周りから大切にされると思っていた。
いわゆる疾病利得。
"無意識"なんだけど、病気でいることでメリットがあると、その病気が治らないという仕組み。
例えば誰かから心配してもらえる、一人ぼっちにならなくて済む、とか。
自分は特別と感じたかったのかもしれない。悲劇のヒロインみたく。

本当にこう考えると自分、気色悪いって思う。昔も今も変わってないやないかい、ってツッコミを入れたくなる。

えらそうで、愛想悪くて、口先だけで、嘘にまみれてて、失敗を過度に怖がって。
ここでも何をやっているんだと。

病気がひとつのアイデンティティになっている自分も意味がわからない。
病気に飲み込まれてるだけじゃん、って。
何かあったら病気のせいにして、前に進むのをやめてコミュニケーション取ることから逃げる。

本当にそのままでいいのか?逃げてもいいのか?逃げたらまた同じことを繰り返すってわかっているんじゃないか?

ここにも"人に頼る"というキーワードが出てくる。
現世での課題でもあるのだが、職場の人に頼って、自分を開示していくことで「迷惑はかけてかけられるもの」だということを腑に落とすタイミングなのかもしれない。

怖いが勇気出して伝えてみよう。



こうしてみると、私はどれだけ怠惰なんだと。
たしか"できない"と"やりたい、""できる"と"やりたくない"だったと思うけど、"思考"と"感情"って"できる"と"やりたい"ってなってないと怠惰になる。

自分に素直にも生きられてないし、どれだけ条件付きの愛を自分に与えているのかにも気づかされた。



ぬんさんとのMTGでのメモの字が汚すぎて自分でも読めない。
どうなっとるんだ本当。

人生は研究

科学の世界のスタンスは、

「何も信じて疑わず、ただ試して確かめろ」

これが大事だということにも気づかせていただいた。

今日は気づきが多い一日だった。

本日もありがとうございました!

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