まだ生きている
数週間ぶりにシャワーに入った。
サッパリするのは気持ちが良いな。
俺は去年の四月一日に死のうと思っていた。
それを決めたのは、一昨年の大晦日。
双極性の鬱期だった、コロナで長年勤めていた仕事を辞めた、色々も疲れた、人と上手くやれない、もう沢山だ、繰り返す躁鬱によるトラブルにもウンザリ、など自死する理由にならないような理由が重なって、とにかく死ぬことを決めたんだった。
そこから毎日、一日数ページの「終活ノート」を書き綴っていた。
一月下旬に「頭突き男」が人違いでやってきて、二月下旬には間抜けな炎上騒ぎに巻き込まれ、気がついたら四月一日は過ぎていた。
二月の後半には終活ノートを書くのもやめていた。
大晦日から四月までの間に友人が二人自死した。
友人の一人はまだ中学一年生だった。
彼の母親と俺が友達で、母親を介して彼とも知り合った。
ゲームやアニメなど共通の趣味もあり、中学一年生にして素晴らしい絵を描く才能あふれる画家でもあった。
自死したもう一人の友人も才能が認められた女性芸術家だった、人が羨む美貌、才能、若くして芸術家としても成功を収めていたのに。
二人が自死した理由はわからない。
遺書も読ませてもらったがよくわからなかった。
俺は死ぬのをやめた。
俺は死んだらダメなんだって思った。
俺には自分から死ぬ権利なんてないって思った。
自死した友達のお母さんとも約束した。
自死した友達の魂とも約束した。
俺は生きるって約束をした。
終活ノートを読み返した、恥ずかしくなった。
変に聞こえるかもしれないけど、神様からも「お前は死ぬな、生きて苦しめ、苦しんででも生きよ。」って言われてるような気がした。
今は苦しみも悩みも、全て愛おしい。
生きてるから悩み、傷み、苦しめる。
空気の読めない希死念慮は相変わらず無遠慮に襲ってくるけど、放っておいても最終的には守護霊が蹴散らしてくれるはずだから気にしない。
俺はまだ生きてる。
生かされてる。
そして、もう死なない。
生きる。
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