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My favorite 100 #29 チョコレート

はじめまして、こんにちは、なぁこと申します。
2021年は「継続していく」ことを目標に掲げ、毎週ただただすきなものを紹介していくという連載を年始からはじめました。もはや毎週でもなく、書き方すら変わってきているけど気にしない。すきなもの多すぎて毎度テーマとっ散らかってんな~と思いつつ、つづけるのが大事!というスタンスでやってます。
ランキングではなく、リストから気分でピックアップしてテーマを決めております。
このnoteを偶然見つけ、読んでくださった方のなかに、おなじものがすき!って方がいたらうれしいな〜!という気持ちで更新中です。

My favorite 100 #29 チョコレート

チョコレートを口にいれたときの、なんだかちょっと悪いことをしているみたいな感覚が好き。
口内の熱で人知れず黙って溶けていく、あの秘密みたいな味。
まだあるうちは幸福かもしれないけれど、すべて消え去って余韻だけが残ることに気がついたときはさみしい。
それでも無限ループに陥らないあたり、ある種、劇薬のような食べ物なのかもしれない。
不思議だなと思うのは、チョコアイスやガトーショコラのようにチョコを加工したお菓子はそれほど選択肢にあがらないということ。サーティーワンアイスクリームでは「ナッツトゥユー」しか勝たないし、ケーキショップのガラスケースの前ではフルーツの乗ったタルトに食指が動くのである。
だからわたしは無類のチョコ好きというより、よこしまなチョコ好きなのだと思う。
仕事の合間や休憩にエネルギー回復のような意味で食べるというよりは、帰宅してゆっくりできる時間にコーヒーや紅茶を淹れてひとつふたつ食べることのほうが多い。ちょっとちいさな贅沢をしているような時間。
せわしなさを一時忘れて、ゆるんでほどけたいときに食べたい。そういうのすごく必要な時間なのだけれど、それと同時にほんとうはやらなきゃいけないことを横においてすこしのあいだ目を瞑っていたりもする。だから、やっぱり甘い罪悪感のようなものを覚えてしまうのだ、チョコレートという食べものにたいして。
メーカーやブランド、種類にあまりこだわりはない。
銀紙に包まれた板チョコも、ショコラティエが腕によりをかけた宝石のようなチョコも等しくいとおしい。ドライフルーツも好きなので、オランジェットを見つけたらすぐに買ってしまう、いただいたらテンションが宇宙になるといった習性はあるにせよ、わりとなんでも好んでいる。やっぱりちょっとよこしまだな。
だけど、銀紙のうえからざっくばらんにぱきんと割って、かさかさと音を立てながら剥いて食べるひとかけらも、お品書きを眺めながら「今日はプラリネがいいな」って、仕切られた箱に並んだなかから描かれているものとおなじかたちを探し、そっとつまみあげるひとつぶも、そのどちらもこころが溶けてなめらかになるのはおなじなのである。

昔、江國香織さんのエッセイで「どんなことがあってもよその女にチョコレートを贈らない」ということを結婚するときに旦那さんに約束してもらった、というようなことを読んだことがある。ほかにはなにをあげてもいいけれど、チョコレートだけは絶対にダメだと。江國さん曰く、箱に入ってきれいにリボンをかけられたそれは幸福の象徴であり、女の心を溶かすものといったようなことが書いてあったと記憶している。
そのときまでわたしはそういった感覚を持ち合わせていなかったけれど、それを読んだとき、自分がチョコを食べるときに感じる、このいろいろな感情がまざりあった甘くほろ苦い時間とその秘密めいた余韻を恋人がよその誰かにあげるのだと想像すると、たしかにちょっと考えるものがあると思った。
たとえば化粧品やジュエリー、雑貨や小物、花など(それはそれで嫌だけど)そういうものと違って、チョコレートは幸福な時間とともにからだに直接溶けて一部になっていくからなのかもしれない。
じゃあケーキやクッキーはどうなのだ?というはなしになってくるし、それらも美味しい時間をもたらしてくれるものではあるのだけれど、やっぱりすこし違うといった感覚に陥ってしまうのは、わたしにとってチョコレートはとくべつな食べ物であるということだと思っている。

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