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音楽の神様

聴いた人の心の奥深くを、優しく触れられるような音楽を奏でる人たちがいる。

これは、「上手い人」とは全く違うものだ。

上手いけどそれだけ、って人が大半。
クラシックは特に、先人の遺した楽譜を再現する音楽であるから、
自分なりの解釈を混ぜながら作曲者の意図を汲み取り奏でるのが難しい。
演奏者や指導者により多少の差はあれど、似たような感じになってしまう。


聞き手を惹きこむような表現力は、技術よりも身に付けるのが困難だ。

「ここからは、ただピアノに向かって練習してたって全然上手にならないのよ。他のこともちゃんとしなさい。」
と私自身言われたことがある。

そう言われると、音楽しかしてこなくて、上手くなることだけ考えて毎日何時間も向き合ってきた人には酷な話だ。

「上手くなるために練習時間を増やしても、上手くなれないなんてどういうことだよ!」
と当時は思っていた笑

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でも、今は少しわかる気がする。
大人になって、昔はコンクールで入賞常連だった人が、リサイタルではあまり…だったりするから。

ある程度経験を積むと、技術はあって当たり前になる。
だから、他のところで差をつけなきゃならない。
それが表現力であり、一人一人がもつ個性を、適切なタイミングで出せる能力である。


私は、どれだけ音楽の神様に全てを捧げられるかが、その人の表現力を左右すると感じてしまう。

音楽のために、表現力のために、音楽から離れて別な経験を積んでいくことも、音楽の神様に自分の人生を捧げていることなんだろう。

どんどん増えていく貢ぎ物のようだ。
累進課税のような…。笑
自分の水準が高くなるほど、捧げるものも増える。

しかし、どれだけ音楽の神様に捧げれば報われるのか、自分を含めた誰もわからないのだ。
「神のみぞ知る」だ。

それを、運と呼ぶのかもしれない。

運を引き寄せるために。音楽の神様に微笑んでもらうために。
高みを目指す世界中の音楽人たちは、今日も自分の人生すべて捧げるのだろう。

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