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踊る老婆

2020/09/20⑨『踊る老婆』

前の居酒屋で何発か殴打されたあと、店を移した。
別の店の常連客と来たことのあるその店内には、平日のせいか、お客はおらず、奥の方で綺麗なドレスに身ををまとった老婆のような老人がひとりぽつんと佇んでいた。

「あらぁ〜いらっしゃ〜い。お二人様?どうぞ、座って〜。今日は暇なのぉ〜。」

六十はゆうに超えているキラキラした老婆は、前と同じように暖かく迎えてくれた。
ハリボテとはこのことかと言えるほど、化粧ノリは悪く、いつくたばっても不思議ではないように見える。
それでも老婆はキラキラしていた。

「可愛い彼女ちゃん連れちゃって〜。羨ましいわ〜。」
「いやいや…。」
「あっ、ありがとうございます。あたし、初めてなんですー。」

彼女は、僕が話そうとしたのを遮って、お礼を言った。
僕は、殴って止められるよりはマシだなと思い、口を摘んだ。
ソファーに座るのと同時に、飲み物は何にするのかを聞かれ、注文した。
ボトルを入れるかと勧められたが、値段を聞くのにも気が引けたし、そもそも次来るのはいつなんだと思い、やめておいた。
キラキラした老婆は僕たちと少し会話をして、すぐにドリンクを作るために奥へと消えた。

「歌って、歌って〜。なんでも好きなのぉ〜。」
「えーっと…歌う?」
「歌うーー!!」

店内は間接照明が少しあるだけで、周りに誰かいたとしても、きっと人の顔なんて分からない。
バブルのときのディスコのような雰囲気があり、古き良き時代を感じさせた。
彼女は明らかに上機嫌になっており、歌う曲を探し始めていた。

なんの曲だったかは忘れてしまったが、僕らの青春時代に流行った曲だったと思う。
ドリンクを持ってきた老婆は、知ってか知らずかその曲に合わせて、踊り始めた。
誰も求めていないのに、披露される老婆のセクシーダンス。
観客は僕らしかいないが、手を抜いている様子はない。
全力のウィンクポーズとチラチラ見せてくる胸の谷間に、僕らは笑うほかなかった。
服を脱ぎ始めたときには驚きはしたが、老婆の胸があまりにも綺麗な形をしていて、そんなことはどうでもよくなった。
作り物だと分かっていても、「なんであんなにピンクなの?」と目を合わせて、再び笑った。

雑居ビルの二階にあるその店は、普段から飲み歩いている人にしか、その存在は知られていない。
例え近くに寄ることがあったとしても、きっとその怪しい門構えを見て、気付かないような振りをして、通り過ぎてしまうのだろう。
それでもその場所は、突然ミラーボールが回ったり、汚い老婆が踊ったり、僕たちをどうにかこうにか気分良くさせてくれる。
性別の垣根を超えて、当たり前のようにもてなしてくれるその店で、僕たちは時々目を盗んではキスをした。

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