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自己否定からのステップアップの仕方

自己否定⇒自己受容⇒自己肯定と少しずつ認知のゆがみを修正していくわけですが・・・と、あまりに唐突に始めましたか・・・😅
進んでいく順番のことです。やっぱりどこかを飛ばしてはなかなか難しいみたいなのです・・・
今回はどんな風に私が段階を踏んでいっているか(自己否定部分)について書いてみようと思います。

自己肯定感の低さを改善するには順序が大切かも?

自己肯定感の低さを改善するにあたって、まずは自己否定するのをやめる、次に自分を受け容れる、そして自分を肯定していく。という順序が私の中にどうやらありまして。今私は多分自己否定がやっと卒業できそうなところにいます。
先ほどnoteのつぶやきで投稿しましたが、「自分を褒めまくったら少しは気分が乗って一気に一瞬だけでも自己肯定感が高まったりしないだろうか」と安易に考えて記事を書き始めたところ、結局・・・褒めるってどうやるんだっけ?となってしまいました。

他人なら、いくらでも出てくるんです。頭の中にあの人を思い浮かべて褒めてみます。きれいですね、おしゃれですね、優しいですね、色々教えてくれてありがとう、賢いね、なんでもできてすごいなぁ・・・などなど、まだまだ出てきますが、これがハタと自分となると・・・

褒めるってどうやったらいいんだっけ???あれ???

ってなってしまって・・・。
最後に頑張ったねってつければいい??とか
順調!!とかいれたらいい??とか
偉い!!とか言ってみたらいい??
とか考えだして・・・褒めるとは程遠くなってしまってやめました(笑)
どうやら私はまだ自己受容の段階のようです。

私が自己否定から逃れられたのは・・・

ちなみに自己否定をやめる段階では、信頼できる数少ない人たちの力を随分と借りた気がします。

自責とか自己否定は、またやってしまったとか、だから私はダメなんだとか、(私以外の)あの人ならうまくやれたかもしれないとかそういうものとして捉えていますが、私はそんなことを思ってしまったら何人かに
「どこが失敗で何が出来ていたか」とか
「自分のどの点がダメで出来ている点はどこなのか」とか
「うまくいかなかった原因が本当に自分にあるのか」とか・・・
を一緒に整理する時間を作ってもらっていました。主人、私が絶大なる信頼を置く職場の先輩、学生時代からの友達。病気のことは3人とも知っていたので、それを理解して根気よく付き合ってくれていたと思います。時々は何を話していたのか自分の頭の中で整理がつかなくなったりもしていましたが・・・。頭の整理したらいいよって言ってくれていました。

私のメンタルダウン時は視野が狭くなりがちなので、多分多かれ少なかれ、普段見えているものが見えなくなることはあると思うのです。だから、「事実と感情をわけること」がなかなかうまくいかなくなってしまう・・・。
まぁ、こういうときはたいてい「ここは出来てるよ!」とか「全然ダメなところないじゃない」とか肯定的要素が入ってくるとなかなかそれを信じるのが難しくなってしまいます。何度も同じことを言っても仕方がないので表面上「ありがとう」といって終わらせますが、心の中ではなかなかそうは思えないのです。

自己否定をやめるためのポイント!!

そんな私が感じている自己否定をやめるためのポイントは「ダメだけじゃなかった自分に気付く!!」です。
つまり、ダメなところはあるけれど、いいところもあるよね!っていうところに気付き始めると、自己否定は減った気がします。

そしてこれに気付けると、色んな出来事がこれまでよりもずっと広い視野でみられます。嫌なことが起こっても別の側面から見てみたら案外大丈夫そうだとか、相手も実は大変な思いをしていて同じように苦しんでいることを知ったりだとか、どうにもならなければどうにもならないで覚悟を決めようとか・・・(できれば嫌ですが)。
自分のこととして「良い面」「悪い面」があるんだなっていうことを、頭で理解するだけでなく体感できるようになると、なにかの出来事において自然に今ある面だけでなく、別の面が「ポンッ」て音を立てて急に見えるようなそんな新鮮さが私にはありました。

ありきたりだけど、表裏一体、光と影、陰と陽などのように物事は決して一つの側面から判断してはいけないんだなぁと、やっと、思えるようになりました。

最後に少しだけ自己受容

そして、そこから自己受容。
ほぼ自己否定をやめる段階ですぐ次のステップとして、自己受容がやってくるのですが。自己否定をやめれると、ある程度「良いも悪いもあるんだな」と思えるようになっているので、そう思えている事柄に関する自己受容は、割とスムーズなのではないかと思います。

「良いも悪いもある、完全無欠は存在しない。それなら自分だって、そう他の人と変わらないかもしれない」そんな風に思えたのが自己受容の始まりだったと思います。

そして、その頃から「普通」とか「みんな」とかって、実はそれこそがなかなかにあり得ないことなのではないかと思うようになります。
普通は○○する、とかみんな〇〇してるとかいうことに関していうと、○○以外のことしてる人いそうじゃないですか・・・。同調圧力ぐいぐい来られることもあるけれど、そもそも「普通」とか「みんな」とか発言している人たちが複数いたら、その人たちだけでも前提の共有が出来ているのかは怪しいなぁと思うのです。

「みんな違ってみんなそれぞれ!!」
「どこから集まってきてもいいけど目的地あそこ!!!」っていう生き方ができる社会にならないかなぁ・・・

先に書きましたが、私自身いまは自己受容の段階にいて自分の体感をお伝えできるのはここまでかと・・・。
また新しいステップアップを経験したら、自己受容⇒自己肯定へのステップアップについて記事を書けたらいいなぁと思っています。

お礼

今日も最後まで読んでくれてありがとう。
おかげさまで1か月余りで200回のスキを貰うことが出来ました。
優しい人がたくさんなんだなぁと感激しています・・・。

どうぞこれからもよろしくお願いします!

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