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【モチベーション】勉強は、知らない自分を知っていくこと。人生をより自由で豊かにするために。

もっと武器を手に入れて、好きなことをしていこう。


こんにちは。りこです。

今回は「勉強することの意味」のひとつとしてわたしが重要視していることについて。

知らない、それは時に罪です。

未成年を過ぎると、人は否応なしに社会へと放り出されます。

そこで何かしら行動したとき。

それがときたま誰かを傷つけ、自分の人生の幅を狭め、ときに故意がなくとも法律に触れることさえあります。

知ることの大切さ、そしてその方法について考えたことを軽くですが纏めてみます。


知らなかった?無知はときに罪となる。


無知は時に罪です。

法律に関わるお仕事をするようになってから、それをより一層感じるようになりました。

例えば、浮気や不倫。

自分ではもう夫婦関係は破綻していたし、問題ないだろうと思っていてもそれが時には自身にとって重大な結果を引き起こすことがあります。

債権関係。

お金借りたけどどうせもう時効だからいいだろう、飲み屋の代金踏み倒したけど時効1年だよね?ちょっと待てばすぐ請求来なくなるだろう。

改正民法では飲み屋その他職業別の短期消滅時効は削除されました。

法令や条例。

そんな法律知らなかった。何とかできないの?知らなかったんだからしょうがないじゃん、周知しない政府、世間、周りが悪い。

知らない人間は自ら知ろうともせず誰かや周りのせいにします。

知識のない人間ほど、周りに起こるイレギュラーな事態に対応できずそれを排除しようとします。

でも、結局は知らない自分が悪いと判断されてしまいます。

そしてときにそれは自分にとって想定外のトラブルとなります。

本来少しでも知っておけば避けられたトラブルを、知らないというだけで回避するどころか予想さえつかない事態となってしまいます。

無知は罪。

それは対外的なものとしてもそうですが、ひいては自身の人生をより良く安心して生きることに対しての大きな弊害となるんです。

それが、無知ということの一番の罪だと私は思います。


一番怖いのは、「知らないことを知らない」こと。

知らなければ、その時点で手段がないということになります。

海外を知らない人間が外国へ行こうという手段は思いつきません。

行政書士という職業を知らなければ、それになろうといった動機も思い浮かびません。

こういう法律があったことを知らなかった、というのはその時点で「知った」ということです。

それまで「知らなかった」ことに「気付かなかった」んです。

そこに気付かなければ、対処のしようも選択肢もありません。


それは人生においても言えることで。

井の中の蛙状態のまま、そこから抜け出す手段も方法もわからずたまに画面越しにキラキラした世界を見て、そこで初めて知らないことや世界を知ってもそうなりたいと思ったときの手段がありません。

「そうなれる手段を知らない自分」を「知らない」からです。

今ある人間は全てそうなるまでに何段階ものプロセスを踏んでいます。

そのプロセスを知らずにいくら追い付こうとしても追い付けるわけはないし、そのプロセスひいては手段を知らなければいつまでもそうなれないままです。

知識がなければその苦労や足取りが想像できません。

個人的には、それなのに自分にもできると身近に思い込んで上から目線で批判したりする人間それこそ無知なんだなって思います。

同じレベルかそれに匹敵するほどの気づきと共に知らない自分を補おうと努力した人間はその苦労を想像できるので決して批判なんてできないはずです。

「知らない」ことを「知らない」まま生きる。

それは、より自由で自分らしく生きる人生の手段や選択肢を自ら放棄していることなのかなって思います。


要するに、何のために勉強するの?


では、なぜそこに勉強が直結するのでしょうか。

まず、知らない自分を知るため。

そして、無用なトラブルから自分を守るため。

そのために、自分の人生の選択肢を広げる方法を学ぶという理由です。

その手段として、勉強が必要となってくるんだと思います。

避けたいのは、自分が「知らないということを知らない」ことです。

知らなければ、まずなぜそういう事態が起こるのかわからない。

全てが予想外なので、対処のしようがない。

また、何かをしようとしたときにその手段がわからない。

そして一番怖いのが、やりたいことがわからない。あっても、それをする手段がわからない。

そうして、どんどん小さな世界に落ちくぼんでいきます。


自分が「これを知らない」ことに気づくことで初めて、それを勉強することにより広がる世界や見識を想像することができるんです。

可能性が広がるんです。

人生の選択肢や、できることが広がるんです。

そうしてそれを繰り返していくと、新しいことを学ぶことに抵抗がなくなっていきます。

それを積み重ねることで、より人生を自由で豊かなものとしていくんだと思います。


では、どうやって勉強すればいいの?


義務教育は、つまらなかったけど今考えればやっぱり「知らないことに気づき、学ぶ」というプロセスを合理的に学べる場だった気がします。

でも、画一的なペースでわたしは全然ついていけませんでした。

だから、個人的には義務教育で「学ぶ力」がついたかどうかは定かではありません。

「知らない」ことを「知る」ためには、まず「知らない自分を知る」ことから始まります。

その手段としては、わたしは何でもいいと思います。

自分の興味のある分野の資格、検定…それがなかったら語学、大検を受けてみてもいいと思います。

そこに求めるのはあくまで結果ではなく(結果が出ないとモチベーションが上がらないといった場合は結果に対し打ち込んでみてください)それを積み重ねて「知らないこと」を見つけそれを調べたり記憶したりして「知る」に変えていく作業を「積み重ねていく」ことです。

それを繰り返していくうちに、日常でも自分が知らなかったことに気付き始めます。

そして、調べたり記憶するうちにそれが習慣として落とし込まれます。

その習慣が「人生の選択肢を広げる」ことに繋がるんだと思います。

知らないに気付く→勉強する→知ることができる→人生に活きる、選択肢が広がるというループ

それを作ることができれば、自分の興味のある分野の情報を毎日チェックするとか難易度の高くない資格試験に手当たり次第挑戦してみるとか、ほんとうに何でもいいと思います。


勉強することは、学び方を学ぶこと。

勉強は、つまらないものです。

机に向って、文字だらけの知りたくもない情報を頭に詰め込んで、これが何の役に立つんだという疑問を押し殺しながらテストに出る箇所だけをひたすら詰め込んで。

でも、結局そういった心持ちで挑む勉強はただの「作業」です。

勉強は、本来そういったものではありません。

「学ぶ」ことは「人生の選択肢を広げるための行為」であり、勉強はあくまでその手段にすぎません。

これがいつかきっと自分の役に立つ。

そう思って、勉強をただつまらない時間の浪費ではなく「知らない自分に気づき、学び、もっと自由に生きる方法を学ぶ」手段として利用してみてください。

努力を積み重ねたことはきっといつか自分の価値となるから。


P.S.

具体的な学び方について、ちょっとスパルタだけど宅建を例にしてまとめた記事があるのでご興味があればぜひ読んでみてください。

モチベーションのお役に立てれば幸いです。


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