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パーソナルなデータに基づいて, 好みの食が得られる時代に

「食の未来」をテーマに、トップランナーたちにインタビューする本企画の第2回目は、日本におけるAIブームの火付け役となった研究者、東京大学の松尾豊教授に語ってもらいました。ジャンルを問わず、食への愛情ものぞかせる松尾教授に聞きます。30年後の未来はどうなっていますか?

松尾豊(まつお ゆたか)
香川生まれ。1997年東京大学工学部電子情報工学科卒業。2002年同大学院博士課程修了。工学博士。同年より産業技術総合研究所研究員。2005年よりスタンフォード大学客員研究員。2019年より現職。2017年日本ディープラーニング協会代表理事に就任。著書に『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』(2015年、KADOKAWA)など。

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食に特化したパーソナルなデータがとられる時代に

――日本のAI研究の未来について、政府にズバリとモノ申す立場を担う松尾豊教授においでいただきました。本日は食の未来をテーマにお話を伺いたいと思います。先日の内閣委員会でお話された内容は非常に興味深かったです。そんな松尾節で「30年後の食の未来」についてお話を聞かせてください。

松尾 30年後の食は相当変わっていると思います。以前から食の世界は変わるよね、可能性があるよねってずっと言い続けているんですが、食って人生のなかで相当大事なものじゃないですか。おいしいものを食べたいと思うと結構なリソースをかけるし、食によってコミュニケーションが円滑になったり、食を通じていろいろな思い出ができたりすることを我々は体験的に知っている。でもその割に、そうしたデータを誰もとっていないんですよ。こんなおかしなことがこのまま続くわけはない。30年後は絶対、誰かが食に特化したパーソナルなデータをとっているはずです。

――人々の食体験や好みがデータ化されていくということですか?

松尾 そうです。何を食べたかが記録されます。それによって、お店のレコメンデーションもされるし、自分の舌に合わせた調整などもされるでしょう。たとえば、昔は本が買いたくなったら山積みになっている本のなかから欲しい本、好みの本を探さなければなりませんでしたが、今はamazonが各個人のデータ化された情報のなかから最適な本を示してくれますよね。食も同じで、いまはレストランにたくさん食事が並んでいます。でも、パーソナライズはされていないんですよね。後から考えると、昔はみんなに同じ食事を出していた、と振り返ることになるのだと思います。

――食に関するパーソナルなデータというと非常にとりにくいと思うのですが、どういうことから始めるといいでしょうか?

松尾 確かにむずかしいですね。食事の場所はさまざまですし、パーソナルな空間であることも多いです。毎日食べたものやその環境をアプリで記録していくという方法が考えられますが、ハードルが高いですね。食事をする場所にカメラが入るのか、AR化したコンタクトレンズがそのうちできるのか、ロボットがいろんな場所で働くようになるのか。いずれにしても、データをどういう風にとっていくかについてはこれからの課題だと思います。でも誰かがかならずやるはずです。日本の食文化度は非常に高いので、そうした食に特化したデータを日本の企業が中心となってプラットフォームを作ることができればと思います。食の好みだけではなく、健康や宗教など、各人が持つ食のデータは多岐に渡ります。それがパーソナライズされていけば、とても豊かな食生活がおくれると思います。

――その「豊かさ」に関してなのですが、豊かさの感じ方は人それぞれですよね。たとえば、SDG‘sが盛んに言われるようになって「肉が食べられなくなるかもしれない」「人工肉の時代が来る」という言葉を聞くようになると、肉をさんざん食べて来た人たちは「かわいそうに」となる。でも今の若い人たちは、もっとほかに豊かさを求めているから、自分たちがかわいそうなんて思っていないように見えます。時代によって、世代によって「豊かさ」は変わってくるように思うのですが。

松尾 おっしゃるとおり、「豊かさ」は時代や社会情勢によっても大きく変わります。幼い頃、祖父母の家に行くと「食べなさい、食べなさい」とよく言われていました。戦争で飢えを知っている世代だから、豊かさ=飢えない=食べることだったからでしょう。でも今は、幸せなことにほとんどの日本人は飢えを知らないし、健康に気を使わないといけない年代になればなるほど、空腹のほうが貴重な資源ではないかと思います。「今、おなかがすいているんだけど、このおなかのすき具合を何に使おう」そんな気持ちがチャンスにすらなっています。だから、あまり好きではないものを食べさせられると、ちょっと残念に思う(笑)。今は人々の多様性が重視されてきているわけですから、食の豊かさも多様化してくるのだろうとは思います。その辺もデータによって最適化されるんじゃないですかね。それぞれの豊かな食体験はこれだ、というようにね。豊かさの定義は時代とともに変わる。そしてデータがとれるようになったときに、自分に合ったものが当たり前のように提供されることで生まれる、また新しい豊かさが出てくるのかもしれないですね。

データ化で、栄養も好みも満足できる料理が得られる

――ところでやっぱり、肉は食べられなくなるんでしょうか……。

松尾 米国で伸びている人工肉というジャンルに関しては詳しくはよくわからないですが、肉は環境負荷が高いですからね。一方で、これだけオーガニックとか自然なものが好まれているなかで、人工肉がどのくらい普及するんだろうなとも思います。いずれにしても、肉が希少になればなるほど、その価値は上がりそうですね。たとえば昔は、マツタケはごろごろ山に生えていたと聞きますが、今は薄っぺらいものをありがたがって食べなくてはいけない。肉もそういう扱いになっていく可能性はありますね。

――マグロも江戸時代は猫またぎの雑魚だったといいますしね(笑)。

松尾 食は人の価値観と大きくかかわっているので、貴重なものだと思えることはとても大事で、豊かさのひとつだとは思います。大間のマグロと聞くと「おおっ」と思いますが、それが一般に普及してくると、希少性がなくなってくる。そうなるとまた、違う価値観が出てくる。おもしろいですよね。

――食べ物自体が憧れである、という考え方そのものが変わるということはありませんか? たとえばファッションのように、バブル時代にもてはやされた高級ブランドにはもう興味を持てないという若者たちが増えているように。

松尾 確かに、食べ物はもうファッションに近いかもしれませんね。ファッションでは着るという基本的な機能は満たされてますから、社会的な意味合いや、自分がどうありたいかなどの価値の比重が大きいですよね。それが食に関しても今後起こってくるでしょう。若い人たちにとっては新しい考え方、感じ方があるでしょうし。食にはいくらでも進化していく余地があると思います。僕なりに食を研究してきた範囲でいうと、これまでの食ビジネスは、早く市場を取ったプレイヤーがシェアを保ち続ける構造になっています。なかなか後発からの逆転が難しい市場です。そういう意味では、データをとってパーソナライズし、食文化を再定義していくようなことも、先行すれば勝ち続けられるのかもしれません。

――やはり30年後の食の未来のキーワードのひとつはパーソナライズということでしょうか。

松尾 パーソナライズされたものが心地よくなると思う根拠が大きく2つあるんです。ひとつは、進化的にそうなっているのではということ。小さい頃から食べているものは、それで成長できているわけですから、条件付き確率的に言って、大人になったときにも安全である可能性が高い。そしてもうひとつは、自動化による余裕で生まれるものへの期待です。食の加工は相当な手作業が多く、なかなか自動化してコストを下げるのはむずかしかったのですが、僕の関係するAIやディープラーニングによってさまざまな作業が自動化されてくると、そこのコストが下がって、下がった分のコストをひとりひとりに合わせたものを作る余裕が出てきます。調理のコストが下がると、いろいろな加工ができます。選択肢の幅が広がります。ちょっと話がそれますが、社食にA定食、B定食があるじゃないですか。機内食もそうですが、選択ができるということは、それこそとても「豊かな」ことです。A定食しかないと不満が高まるけど、AかBがあると、どちらか選べる。選んだものがおいしくなくても、自分の選択が間違ったかな、と自分の責任と思える。選択肢を持てることは大事だと思います。

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――そういえば、給食の献立はすごかったですね。メニューの選択はできなかったけれど、種類といい数といい大人になってあの献立の魅力がわかります。

松尾 大豆やひじきがとても多かった覚えがありますね。栄養士が考えるとそうなってしまうのでしょう。栄養学的に無敵な食品があって、それをどう使うかを考えた形が給食になって出ていた。そういう感覚からすると、普通の人が自分の好みで外食をすると、栄養のバランスが悪くなると思うので、データ化によって、栄養学的にもぴったりのものを、その人の好きな料理で提案する余裕が出てくると思います。

――30年後は学校給食で嫌いなメニューが出なくなる。それはいいですね(笑)

松尾 私は納豆が苦手なんですが、データによって、納豆を食べなくても栄養学的にこれを食べればどうかとAIが言ってくれるようになるわけです。自分のパラメーターが管理されており、健康状態からいって、ギトギトの豚骨ラーメンなどを食べるとやばいってなって、後で補正するようなレコメンデーションが出てくる。自分の健康や制約の範囲内で、おいしさを最大化するという最適化問題なのだと思います。私は魚のアジやたまねぎが好きだから、もし栄養的に良いのであれば毎日でも食べたい。それは人によって違うはずなんですよね。年齢によって、健康状態によって、高血圧や糖尿病の方などは食べる範囲が狭くなって選択の幅が変わってくるけれど、そのなかでもおいしいものを食べたいという思いは決してなくならないでしょう。流動食だって、人間は最期までおいしく食べたいと願うはずです。そうしたものもパーソナライズされると、豊かさにつながるんじゃないでしょうか。

――先におっしゃったように日本の食の文化度は高いし、日本人は食の関心度はとても高いから可能性はありますよね。

松尾 日本に来る外国の観光客はみんな料理がおいしいと褒めてくれますよね。それは関心度が高いから。そしてとてもシビアな目を持っているからです。大阪に安くてうまい店がたくさんあるのは、大阪の人たちがそういうことに敏感だからでしょう。私は香川出身なのでうどんがソウルフードなのですが、香川のうどんも消費者のレベルが高い。小さい頃からうどん屋に行くのですが、シビアに採点します。まずいと思ったら二度と行かない。香川のうどん屋が東京に出てくると、味が落ちることが多い。東京のお客さんはうどんに対してシビアな舌を持っていないからです。以前、「香川のうどんとシリコンバレー」というテーマで話をしたことがあるんですが、シリコンバレーのテクノロジーがすごいのは、テクノロジーを見る人のレベルが高い。いいものを作れば、スタートアップでもなんでも、評価できる能力のある人たちがたくさんいる。だからのびていく。日本全体でみると、料理に関してはうまいとかまずいとか、それが安いとか高いとか、とてもシビアにみています。消費者のレベルが高いことは大きな資源だと思います。逆に、ITのほうは、もっと舌を肥やさないといけないですね。

インタビュー・構成/吉川欣也、土田美登世

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