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EMになって1年半、自分はどう変わったか

こんにちは!RettyでEMをやっております、李晟圭(ケイ)です。
この記事は、駆け出しEMが、プレイヤーからプレイングマネージャー、そしてマネージャになっていく過程で何が起きていて、どう変わっていったのかを書いたものです。
私の事例を共有することで、皆さんに役に立つと幸いです!
また、ベテランEMの方々からは色んなアドバイスをいただける良いきっかけになるといいなとも思ってます。

また、この記事は、Engineering Manager Advent Calendar 2019の18日目のための記事です。昨日は@yunon_physさんのエンジニアだけが優遇されるのではない組織をつくりたいでした。

と、その前に

長いので、まとめると

最初:いいリーダーであろう焦っていたが、課題解決できず 
   → 課題の抽象化して多く共感されやすくした
   → じっくり時間をかけて解決していくこともあると認識した
半年:プレイングマネージャーとして業務量が多かった
   → 辛かったけど、やりがいと活躍できている実感で楽しめた
1年:自分属人化が激化したが、手放し方が分からずボトルネック化した
   → 採用に力を入れ、開発体制の改革により受動解消
現在:アウトプットがないので寂しい 
   → マネジメントのアウトプットに目を向けるようにシフト中

な話をします。

EMになりました。

初めて任された役職に、やる気満々、エネルギーに満ちていました。書籍も大量に積んでは縦書きに心折れ(…外国人なので)。。。

 俺は軍で200名も指揮したことがある。数名ぐらい、なんとかなる。

と思っていたのです。
そう。なんとなーく、小隊長、中隊長的なイメージでした。
でもそれは大きな勘違いだったということを、かなり時間が経ってから分かるのでした。。。

役職が付与されたことで、情報量が圧倒的に多くなりました。別に情報が分断されたり、非公開になってるのが多いとかはなかったのですが、知る必要がある情報がどんどん多くなっていきました。

人事、採用、育成、評価、組織編成、他チーム連携、事業的考慮事項、全社的技術課題の解決などなど。
その最中に、自分の中にはこのような気持ちが大きくなっていました。

前に出て、メンバーを引っ張る、背中で見せる。

これは昔からの自分なりのリーダー像でした。
決して後ろで命令する指揮官にならない。率先・牽引、そして当事者意識と責任感。それこそがリーダーの心得だと思っていましたし、それ自体は今も変わりはありません。
自分のなりたいリーダーになるべく、私は

メンバーが困っていることはなんでも解決してやる

と思い、いつのまにかメンバーから挙がった要求事項を自ら解決しに回っていました。
担当が10−13名ぐらいだったので、週1の1on1でもかなり時間を使ってしまうし、EMになったからって、今まで自分がやってきたプレイヤーとしての業務がなくなったわけでもない状況下で、あがきまくりました。

最初の壁:メンバーを幸せにしたいんだ!

課題だ!直さねば!メンバーを幸せにしたいんだ!働きやすくしたいんだ!

と思い、今思うとあれもやらなきゃ!これもやらなきゃ!と闇雲に騒いで周りに迷惑をかけまくりました。
当時そんな私に怒ることなく付き合ってくれた仲間の皆さんには感謝です。

そうこうしてるうちに、最初の情熱やモチベーションが少しずつ落ち着き、業務量の圧迫、情報の消化に追われていたら、やっと冷静になれる時期が訪れました。
当時騒いでいた課題は、かなり根深いものや規模の大きいもので、時間をかけて解決していかなければいけないことが多く、騒ぐだけで解決できるものは少ないことが分かってきました。周りが自分と同じ温度感ではなく、意思決定でもいつも後回にされがち。なぜだろう?と自分なりに考えたり、VPoEやマネージャーに相談しまくり、一つ気づきを得ました。

声を集め、課題を抽象化して、言語化して、原因を探し、解決案を持って挑む。

まず課題自体を伝えることがド下手でした。(今も上手とは言えません)
今までは課題があれば、自ら手を挙げそれを自分で解決して成果を出す、というのが仕事だったのですが、今はそうじゃない。
課題を整理し、周りに丁寧に説明して共感を得ながら徐々に解決に向けてじっくり進めていくべきこともある。いや、むしろこのポジションで見る課題はそういうのがほとんどだ。

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それが分かってからは、焦ることもなくなり、心に余裕もでき、少しずつ視野も広くなり始めた、と思います。

そうやって、最初の壁をなんとか乗り越えました。でも所詮性格が荒いもので、今もたまに、大変だ大変だ!と騒ぐ自分がいます。。。

そして、二つめの壁が私を待ち構えていました。

二つ目の壁:EMとしての業務と今までのメンバーとしての業務が共存した

上にもチラッと話しましたが、EMになったからって、今までも業務から離れたわけではありませんでした。よくある、プレイングマネージャーというやつです。

ベンチャーあるあるとも言われますが、EMだからって今までのプレイヤーとしての業務をすぐ手放すことはできませんでした。
この二つ目の壁にぶち当たったまま、時間が過ぎていきました。

どんどん多くなる業務量で、もちろん上司のVPoEに相談(またか)をほぼ毎週行いました。
とにかくしんどいと。やること多すぎてもうやばい!と。そしたら

VPoE:(あと3ヶ月)我慢して

。。。マジかーと思いましたが、一方で、こう思ってる自分もいました。

今本当に色んな業務をしている。
担当しているメンバーも多い。(13名ぐらい)
自分がやったとは言えないが、メンバーの満足度も上がったと聞く。
様々な経験も出来てるし、何より成長してる気がする。
辛いけど楽しい。

そう。楽しくて仕方なかったのです。
情報量が増え、視野が少しずつ広くなったり、俯瞰して事象を捉えるようになったり、権限もあるので素早く意思決定もでき、メンバーとの信頼関係も築けてる気もするし、会社から重宝されてる気がして、自ら「活躍している」と思えた時期でした。(EMハイ。。。?)
そう。辛いと言いながらも楽しく仕事をしまくったのです。

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それで3ヶ月後。
四半期全社MVPという報いが得られました。
そして、どんどんエンジニアが増えてきて、怒涛のような期間が終わり、一つ区切りを打てました。

今思うと、見事のVPoEの話した期間我慢して、解放されたので、よく計画通り行ったな、と思います。

そうやって二つ目の壁は、ワーカーホリックで仕事ドMな自分の性と、見事の人員計画のおかげで、いい結果を残して乗り越えられました。

ただ、この時期の自分の圧倒的アウトプット量は、また新たな壁になって自分に帰ってくるのでした。。。

人も増え、業務量も徐々に減り始め、少しずつEMのあり方とか、マネジメントとかに興味が湧いてきました。そこで見えたのは、自分が拾いすぎて周りのメンバーに機会を与えられてないのでは?という疑問でした。

メンバーに対して信頼感がないわけでもなく、新しい取り組みなどには積極的にメンバーを、特に若手をどんどん配置して、経験をさせようとしてました。とはいえ、自分が持っていた業務は他の人に渡せず、ずっと持っていて、属人化がどんどん進んでいました。

三つ目の壁:業務を手放すには何をどうすればいいのかわからない

構築してからずっと自分が持ち続けて来たもので、仕様を吐き出すにしても刻一刻変わる仕様に運用できるイメージもない。メンバーも忙しいので、たまに共有をしようとしてもなかなか振り向いてもらえない。

そのまま時間が過ぎて、担当業務の事業的重要度・活用度もどんどん上がっていて、自らも、周りからもアラートが出はじめ、結局自分がボトルネックになってしまっていました。
これは本当に詰んでました。私と若手エンジニア2名でやりくりしてきたのが、色んなところに依存が発生して、どんどん肥大化していく。

やることは増えていく中で今いる人の配置換えが望めない。もうこうなったらやることはこれしか残ってませんでした。

人を増やすしかない。

そう思ったので、外部勉強会の参加・登壇を増やしました。
とにかく興味を持ってもらって、人が足りないので助けてください!を叫びました。コミュニティ活動も積極的に行いました。

そしたら突然、私の登壇を見た、一緒に働きたいという人が訪れて来たのです。

業務にピッタリな経歴で、入社後活躍のイメージも持ちやすい。
トントン拍子で入社が決まり、3名で打開していく方法を考える毎日になりました。なんとかなる!と思いながら、計画を立てて行きました。

そして、またVPoEから大きなプレゼントが届きました。

LeSSの導入。そしてその立役者になるベテランEMの採用。
3名の1チームで頑張る→2チームの10名以上で頑張ることになる。

私が担当している業務だけでなく、プロダクト全般において大きな課題がどんどん出始めていたので、その打開策として積極的に採用を行っていたのと、分断されていた組織を束ねてプロダクトの価値を上げるべく、導入された大規模スクラム。

そう。またまたVPoEの計画の上で踊らさ。。。

LeSS導入の話は以下の記事に詳しく載ってますので、ぜひ御覧ください。

そうやって、手放す方法がわからなかった業務は、
複数のチームによって勝手に拾われ、私が知らないところで解決されていく
ことになっていったのです。

採用と開発体制の改革で、脱属人化への道が少しずつ開いたのです。

そうやって、何も心配ないように思ったそのとき、また新たな壁が。

それからは意識的にも今まで持っていた業務は自分で消化せずに、どんどんバックログに載せていきました。そこもまだまだ自分が載せて自分がさばくこともありましたが、徐々に自分で、というより、チームに。に変わっていきました。

そうやって属人化から脱却が進んでいくのはいいことでしたが、自分の中に問題が出始めました。

四つめの壁:アウトプットが激減

自分が活躍していると感じた、そのときにはたくさんのアウトプットがありました。それが、チームに預けていくに連れ、自分はアウトプットが減っていきました。当たり前です。

喪失感、というのでしょうか。何をやってるのか、何をやればいいのかがよく分からない時期が始まったのです。

そのときに選んだ道は、

リーダーでいることをやめ、マネジメントに取り組む

でした。
ここでやっと、前に出て行くリーダー像が今の自分のポジションにふさわしくないという自覚が芽生えました。とはいえ、後ろで命令するのではなく、後ろに前に関わらず動きまくってみんなをサポートする。衛生兵や通信兵みたいな存在なんだ、と。
それが役割なんだろうな。と。

まだ数名担当のメンバーがいましたし、
その中ではもちろん色んな悩みを抱えているメンバーもいましたので、
マイクロマネジメントすぎない程度のピープルマネジメントを気にかけ、
拡張されるLeSSへの合流を予定している小さいチームをスムーズにランディングできるように計画、実行。そして今までできなかった担当チームのロードマップ作成などに自分の時間を使っていきました。

不思議なことに、一人のプレイヤーだった私が、色んな壁にぶつかりながら、結局必要によってマネジメントに来てしまっていたのです。

自然とマネジメントの必要性にどんどん気付かされ、自分のアウトプットにこだわらなくなってきました。

そして、約1年前に重要なプロジェクトなどに配置した若手は社内でもエースのような存在に成長していて、担当チームの2名のメンバーは揃って外部勉強会に登壇、大ウケのLTで参加者との交流も積極的に行っていました。

ああ、マネージャーのアウトプットというのはこういうことなのか。
長い道のりだな。

そう気づいたのが、まさにこの12月のことです。

そして書きながらもう一つ気づきました。

メンバーの悩みに真摯に立ち向かって、その解決のために頑張った。
過負荷下でも、責任を果たして表彰され、満足感を得られた。
課題感を持って採用に取り組み、採用につなげた。
属人化の打開策のための大きな体制変化の真っ只中にいる。
プレイヤーから、マネージャーとしての自分に変わろうとしている。

なかなかの恵まれた経験と、よく乗り越えてきたな。と。
年末だし、自分に一つ褒め言葉でもあげたくなりました。
うん。よくやった。これからも頑張って。

終わりに

振り返りながら書いてたので、かなりエモい感じになってしまって、経験談をダラダラと話す形になってしまいましたが、長くて読みたくない方のためにはじめに要約した内容も載せてます。

私はかなり運が良かった1年半だと思ってまして、自らの壁の乗り越えよりは周りからの助けが多かったのではないかと思ったりします。
また壁にぶつかるでしょうし、既に新しい壁ができつつありますが、それでもこの1年半で自分がどう変わったのかをこうやって文字で起こしてみると、なかなか面白い、いい1年半だったな、と思えました。

「マネジメント力は如何にハードな壁を乗り越えたのかで養われる」が持論になりつつあって、今や社外の知り合いからの愚痴でさえも自分の経験値だと思えるようになりました。

来年、この時期にはまたどんな思い出話ができるか、楽しみにしながら終わりたいと思います。

長い文を最後まで読んでいただいてありがとうございました!

Engineering Advent Calendarは明日も続きます!お楽しみにー



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