強者の理屈

私は麻雀が好きだ。
麻雀は最高の暇つぶしだし、時間泥棒でもある。何より趣味の旅行のお供にピッタリである☺️
しかし天鳳や雀魂のようなラス回避ルールを楽しいと思えず引退、新しく私好みのルールの麻雀ゲーム「麻雀一番街」を始めた。
トップが偉い麻雀はやはり楽しくサクサク勝ち進んだが、五段への昇段戦から下振れとなった。
そこからはラス続きでレートは200も下がり、約1000pを一気に失う。クズ配牌と親被りの起家、単騎や愚形にすら勝てないリャンメンテンパイが続いた結果である。
無論麻雀において不調は当たり前だが、久々にYoutubeで不調の際に配信者さん達がどうしているかを調べてみた。
すると出てくる根性論の数々に辟易する。そんな時は絶対打たない方が良い、暫く違うゲームでもして気晴らしをしよう、なんて事を言ってくれる人はまずいない。
あの千羽師匠ですら、不調は楽しむものだと明言しているのだからそれはそうなのだろう。
しかし眺めていてふと思った。
それは結局、強者の理屈でしか無いのでは?と。

どんなに不調でも真摯に受け止め、打ち続けてひたすらミスを直す。
これは圧倒的に正しい。正しいのだが、それを始めて間もない人や麻雀を暇つぶし程度に遊ぶ人に実践させたら、麻雀が大嫌いになるのがオチだと私は思う。
運動不足で腹の出た中年男性に、痩せたいなら一日10km走りましょう!とマラソンランナーがアドバイスするようなものだ。いきなりそんな事が出来るわけが無いし、無理矢理やらせても大半は運動自体が嫌になるだろう。
そもそもああいった発言をする人は麻雀が強く、既に生活の一部となっている。麻雀を打たない日などあり得ないし、不調如きでやさぐれたり心が折れるような弱者など最初から眼中には無い。眼中に無いから想定も出来ないし、麻雀が嫌になった人に実践不可能なアドバイスや見当外れの事しか言えず、更に溝を深めてしまう。
強者には弱者の心理が理解できない。故にいつも無意識で切り捨て強者目線になる。
私なら今すぐそのク○ゲーを消して、違うゲームでもしろと言うし、実際もうアンインストールしてしまった🤣
それは私が弱い故である。弱いから不平不満を我慢して溜め込んだり、そんな苦行に精神が耐えられない事を知っているからだ。
暫くは全く違う麻雀ゲームを一から始めたり、RPGをのんびり遊ぶだろう。

今の麻雀界隈の先頭にいるのは、Mリーグを運営する藤田社長、多井隆晴プロを筆頭にした(一部の)競技麻雀プロ達と、雀魂を運営するYostar、そして人気の配信者さん達だと私は考えている。
だから必然的に彼らの影響力は大きくなるし、最近では配信者さん達もプロリーグさながらの大規模なリーグ戦を開催するようになった。
少なくともネット麻雀の世界では、かなり競技化路線を辿っているように私には見える。
チーム戦も増えてる所を見ると、それもMリーグの影響なのだろう。
麻雀がギャンブルから競技へとなりつつある。それは本当に素晴らしい事だ。
しかし競技路線への傾倒は決して良い事ばかりでは無いと私は考えている。例えばこれだ。

えなこさんの麻雀のツイート。
何故これに噛み付く人が多いのか最初全く理解できず、追記を見てやっと理解した。怒っている人は1000点アガリを否定するように捉えたのか?と思ったがそれだけではなく、取り決めは全員で行ったのか等まで細かく問いただしていた。
正直、病気かと思ったものだ。それを見た第三者がどう思うか?等はどうでも良いらしい。さぞかし麻雀界隈は面倒くさい、怖い連中なんだなと思われた事だろう。
そもそも身内のセット麻雀の話に、土足で割り込む方が余程マナーが悪いし非常識である。
だが恐らく、こんな事がこの先増えていくと私は考えている。麻雀はギャンブルではなく、崇高な競技なのだ!と考える人が増えれば、そのうちリアルでもそんな光景を見かける事になるだろう。

麻雀はみんなのもの。
故・来賀友志先生が遺した金言である。だが今の麻雀界隈は、彼の寛容な言葉から離れつつあるのではないだろうか。何しろ先頭を走る人達が、本来弱者には居場所が無い競技路線に傾倒しているのだから当然である。
しかし麻雀とは本来、競技である前にボードゲームだ。ゲームなのだから本質は遊びである。
だから賭博のような犯罪行為や、他人に迷惑をかける内容でない限りは他人に指図される謂れは無いのだ。否定や排除など論外である。
それを競技路線に傾倒させ、遊びの要素を排除・全否定する空気を作るというのであれば本末転倒だと私は思う。
海外のFPSや日本の格闘ゲームのように、弱者の存在が許されない世界が生まれるだけだ。(私は修羅の国と呼んでいるが😅)
最近ではAPEXもランク制度が変わり、かなり厳しくなったという。時間に余裕がある強者には得だが、それ以外の人には苦痛なシステムらしい。
真実であれば、恐らくプレイ人口は格闘ゲームの如く減っていくだろう。強者に都合の良い世界を喜ぶのは強者だけだ。
麻雀もそうならない事を祈るばかりである。

散々書いておいてアレだが、私は麻雀が好きだ。
最高の暇つぶしとして。
なのでこれ以上強くはならないと思っている。元々競争心も低いし、脳機能に障害もある。
だから競技麻雀プロに敬意を持つし(持てない人もいるが)、実際凄い人達だと思っている。勝負に厳しい世界を好み愉しむアマチュアの麻雀強者達も、皆同じく凄い人達だと思う。自分には決して出来ないから。
あえてハッキリ書くが、彼ら強者の理屈を弱者に求めるのは間違っている。大半の人には実践出来ないし、自信を失わせるだけで何のプラスにもならない。世界観も同様だ。それが出来るなら誰も麻雀が嫌いにはならない。
彼らにとっては麻雀は筋トレのようなものだ。どんなに不調だろうが習慣なので、やらない方が気持ち悪くなるのである。なので麻雀を習慣化していない人に、強者のアドバイスが実践しづらいのは当前である。
自分ができるから他人もできる筈だ、という理屈も強者の都合でしかない。私も最近職場で指摘されて反省したものである。
ビジネスでもスポーツでも何の世界でもそうだが、強者の理屈で得をするのは強者なのだ。

私の意見を弱者の戯言だと思う人はこれからも是非とも頑張って欲しいし、納得した人がいるなら一度これまでの自分を振り返って見て欲しい。
麻雀はみんなのものなのだから、どんな麻雀の楽しみ方があっても良い筈だ。強者の理屈が全てだとは私は思わない。いや強者の理屈こそ正しい、と思う人が強者を目指せばいいだけだ。
それは私には関係のない事である。
遊びとて皆が手を繋いで強者にはなれないのだから、弱いからって恥じることは無い。
自分の弱さを直視できず、苛立ちを他人にぶつけて攻撃する方が余程恥ずべき行為である。

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