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「満腹感」から、生まれいづるもの

子供の頃から、『ハングリー精神を忘れるな』と言われて育ってきた。
現状で満足してしまわないこと、常に上昇志向を持ち続けること。
何の後ろ盾もない人間が世間の荒波を乗り越えていこうと思ったら、ハングリー精神だけが頼みの綱なのだから、と。

ハングリー精神とは、言い換えれば『飢餓感』だ。
まだ足りない、もっといけるはずだ、このままではいけない、という焦りがそこにはある。

もちろんその焦りがあったからこそ努力を続けてこられた側面もあるし、人間には『明日をよりよくしたい』という本能もある。
しかしハングリー精神"だけ"で進むには、人生はあまりに長すぎる。
足りないという焦りで走り続けていると、いつかどこかで息切れしてしまうだろう。
焦りはときに判断を狂わせ、精神を荒ませる。

何かをはじめるとき、怒りが原動力になったというエピソードをよく耳にする。
起業にしても活動の立ち上げにしても、現状への憤りがベースにあると語る人は多い。
私も学生時代はいろんなことに怒っていたし、それが挑戦への原動力にもなっていた。
だからこそ怒りのパワーがいかに大きいかを身をもって理解している。

では怒りや焦りがなければ事をなせないかというと、逆に『満たされたからこそ生まれるもの』もあるのではないか、と最近考えるようになった。

生活を犠牲にしてまで打ち込むのではなく、日々の生活を満たすことによって感性を磨き上げていくこと。
家庭を顧みずに働くのではなく、家族との時間から異なる角度の気づきを得ること。

一見遠回りしているように見えて、実は『満たす時間を持つこと』こそが継続して創造力を発揮する鍵なのではないだろうか。

なぜならば、満たされるということは回復感に通じるからだ。

長く続けているとどこかで挫折しそうになるときがくる。
もうだめだと絶望したり、このままでいいのかと不安になったり、あれもこれも足りないと焦ったり、負の感情がいくらでも湧いてくる時期が訪れる。

もちろんそこで持ち前のハングリー精神を発揮して持ち堪える人もいるだろうが、大半の人はそこまで強くはない。
だからこそ回復のために満たしてくれる場所が必要なのだ。

満たされて安定していると、人は視野を広く持てるようになる。
季節の移ろいや人の変化も機敏に感じとり、日々の暮らしにちょっとした工夫を凝らす余裕もできる。

『満たされる』というとそこから進歩がなくなる印象も受けるけれど、実際は逆で、満たされているがゆえに生まれる進歩の方が多いのではないかと思う。

だからこそ、自分を満たすことを軽く見てはいけない。
満腹になることは何かに到達できたご褒美ではなく、日々の暮らしの中で当たり前にやるべきことのひとつだ。

不足感だけがものごとを前に進めるのではなく、満腹感もまた、人を前に進める力を持っている。

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