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「近くにいるのに遠い」その寂しさが生まれるわけは

今はコミュニティの時代だと言われているけれど、単に人が集まれば盛り上がるわけではないのは、誰もが経験済みのことだろうと思う。

一方、恋愛市場ではマッチングアプリがトレンドを経てもはや定着しつつあるけれど、うまく使っている人がいる一方で、『メッセージが続かなくてすぐ飽きる』という人もまわりには多い。

人は、誰かと出会うだけでは幸せにはなれない。

その関係にコンテクストがあること、つまり自分と相手にとってお互いの存在に意味があるつながりこそが、人を本当の意味で幸せにするのだと思う。

つまり、大切なのは物理的に近くにいること、存在を認識していることだけではなくて、心の底から理解している、そして認められているとお互いが感じている状態だろう。

すでに関係値ができている場合にも、『近くにいるのに遠い』という寂しさはある。

恋人だから、友達だから、家族だからという社会的な関係値のラベルがあっても、自分が相手から認められていない、大切にされていないと感じると人は怒る。

そしてその怒りは、相手の心が近くにないという『寂しさ』からきていることが多い。

私たちのまわりには常に人がいて、オンラインでつながれば無限とも言えるほどつながれる人は増えたけれど、でもだからこそ、心通わない人と時間を過ごすことに虚無を感じるようになってしまったのかもしれない、とも思う。

今は世の中全体が『つながることは正義』という方向に向かっている気がする。

でも、マッチングする数が多いことやフォロワー数が多いこと、すごい人と知り合いだということは、必ずしもそれ自体が私たちを幸せにするわけではない。

経験人数を自慢する人が、必ずしも幸せそうではないのと同じように。

一方で、今は『遠くにいるのに近い』人と出会うことも簡単になってきた。

それは住んでいる距離の問題ではなくて、1年に数回しか会わなくても、毎日のように言葉を交わすわけではなくても、この人は自分のことをわかってくれている、味方でい続けてくれるだろうという人に出会う確率は、昔よりも格段に高まっている。

人は、寂しい生き物だと思う。

だからこそ、物理的な近さよりも本当の意味で心が通っていることこそが、幸福の厳選になりうるのかもしれない。

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