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「足るを知る」には

もうかれこれ6年ほど「知性ある消費」を考え続けるなかで、つまるところそれは「足るを知る」とか「身の丈に合う」みたいな話なんじゃないか、と思うようになった。

私たちが「もっと、もっと」とよりよいもの、より新しいものを求める真理には、自分のなかの空虚を埋めたいという欲望が潜んでいる。何者でもない自分を武装するための消費。ときにはそれが必要なときもあるけれど、その欲望を叶え続けていった先に満足はなく、果てしなく広がる渇望だけがある。

欲望に絡め取られることなく、本当の意味で心を満たす消費のあり方とはなんなのか。それが、長年私が考えつづけていることである。

企業の論理に合わせた「(都合の)よい消費者」になることなく、欲望をコントロールするためには、ある一定のラインで「もっと、もっと」の気持ちを抑える必要がある。

しかしこの「足るを知る」が、誰にとっても一番難しい。古典として昔から教訓として語られているのも、放っておけば人は欲望を肥大化させてしまうからだろう。

かくいう私も「足るを知る」を実践できているかというとまったくそんな自信はなく、オンラインでもオフラインでも素敵なものを見つけては物欲にまみれる日々である。

ただ、「欲しい」という気持ちと実際に「買う」という行為のあいだには大きな隔たりがある。世の中には素敵なものはたくさんあるし、ときめきを感じられるものが多い方が人生は豊かだ。だから「素敵!」と感じる気持ちは大切にしつつ、そして自分以外に合う人がいれば紹介もしつつ、自分の生活にフィットするものだけを吟味して取り入れていく、というバランス感覚が重要なのではないかと思う。

もうひとつ、「足るを知る」の状態に近づくために必要なのではないかと思ったことがある。

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