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自分の言葉に、借りてきた肩書きをつけない

ぼんやりスマホを眺めていてふと気づいた。

「そういえば私、"ミレニアル世代"で括られたこと、ないかも。」

坂東眞理子先生が何かの本で「わざわざ年齢を言ってまわらなくていい」と書かれていたのが印象的で、そこから私はみずから年齢を主張することは控えているのだけど、一応世代としてはミレニアル世代である。

ミレニアルズといえば1980年〜2000年代に生まれた人たちのことなので、まさかアラフォーに見られているわけではなかろうと思いつつ、そういう『括り』に入れられていないことにホッと安堵もした。

世代に関わらず女性という枠で呼ばれることもほとんどないし、『最所あさみ』として評価してもらえるのが私にとっては一番嬉しい。

これは完全に性格の問題だけれど、私は何かを代表して語るのが苦手だからだ。

例えば『女性』だって未婚・既婚で価値観は異なるし、さらに母になったらまったく別の生き物だ。

出身地や育った環境によっても考えは変わるし、同じところに勤めているからといって主義主張まで同じわけではない。

だから私は、自分が語る言葉の主語は常に『私』でありたいと思う。

もちろん世代や性別や出身地で区切るのは、大きく傾向をみる上では便利だし、私も仕事をする上ではよく使う。

さらに、自分のバックグラウンドを示したり、わかりやすいポジションをとるのも重要だ。

けれど、自分の能力や努力に関係のない『借りてきた』肩書きは、ともすると言葉を腐らせることがある。

以前、自分が履いている下駄についてのnoteを書いたことがあるけれど、便利な肩書きであればあるほど、使っているつもりがいつのまにか自分がとらわれる要因になることもあるから。

特に若さという特権は、必ず終わる。

世代論も、30歳を超えたら当事者としての需要はなくなる。

そのとき残るのは、どれだけ自分の頭で考え、みずからの言葉で語ってきたかということだけなのだと私は思う。

立場や肩書きに甘えず、個としての自分の価値を直視するのは、いつも怖いことではある、のだけれど。

ちなみに『自分の言葉で語る』という意味で好きなのは、Yukiさんのnote。

あとはもりやさんが毎日書いているnoteも好き。

そういえば私は普段あまりnote上で好きなアカウントの話をしないので、こうやってアカウントを紹介するのはけっこう珍しい気がする。

それは『ご紹介ありがとうございます!』的なやりとりがあまり好きじゃないのもあるけれど、特に自分が紹介した人が影響力を持っている場合、それによって瞬間的にPVが伸びたり反応が増えても本質的には何の意味もないと思っているのが大きいと思う。

読んでいる人にとって意味があるならやるけれど、自分の利益が目的の根底にあってやると自分の本質的な力を見誤るからやらない。

『この人に見つけて読んでほしい』という戦略をもって書くことはあるけれど、内容はあくまで自分の書きたいことでなければならない。

売れるためとか読まれるためとかじゃなく、ただ書きたくて書いた、そういうものが結果的に一番売れるし読まれるのだと思う。
逆説的だけど、ね。

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