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気遣いは見た目に表れる

先日、何気なくつぶやいたデザインの話。

Togetterでまとめていただいたこともあり、自分の想像以上にたくさんの人の目にとまったようで、賛否両論いろんな意見をいただきました。

今回、「否」の人の主張がいまいち理解できていなかったのですが、Togetterのコメントを読んで合点がいきました。

これって見た目3中身7より見た目7中身3が良いって話じゃなくて 見た目3中身10より見た目10中身10が良いって話してるだけじゃない?(Laminateさん)

私は「せっかく中身10点のものを作っても、見た目が3点だと手に取ってもらえないから見た目10点・中身10点を目指しましょう」と言っているのに、いつのまにか「中身3点でも見た目7点ならOK」と変換されて受け取られていたんだな、と。

そしてファッションも含め、「見た目に気を使いましょう」という話をすると一定数反発されるのは、「見た目か中身か」という対立構造で受け取られているからなのだとようやく理解できました。

そもそも見た目と中身は両輪です。

見た目のよさだけで一瞬評価されたとしても、中身がなければ長期的に見れば評価されないどころか、むしろマイナスです。はじめの期待値に対するがっかり度が大きければ、人は二度と信用しません。

しかし一方で、中身さえよければ評価されるというのも傲慢な考え方です。

私のnoteでも何度も紹介している中原淳一のこの言葉は、「見た目」に関するあらゆる分野に当てはまることだと思います。

身だしなみの本当の意味は、自分の醜い所を補って、自分の姿がいつも他の人々に快く感じられるように、他の人があなたを見る時に、明るくなごやかな気持ちになるためのものだということを忘れないで下さい。

「見た目をよくする」というと、着飾って背伸びをすることのように受け取られがちですが、私は装うとは気遣いだと考えています。

ファッションだけではなく、あらゆるサービス、プロダクト、メディア、すべてにおいて、人の目を喜ばせること、心地よい見た目であるためには、相手への想像力が必要です。

誰もが豪華絢爛な場所を求めているわけではありませんし、その思想によって「心地よい」の定義は異なりますが、自分の作ったものに時間を使ってくれる人にとって何が「心地よい」なのかを考え抜くこと。

それが見た目を整えるということだと思っています。

以前「"商品"は、思想のすべてを体現する」という記事の中で、こんなことを書きました。

いかに「なんとなく」を排除して、理由をはっきり言語化するか。
それこそが、一流とそれ以外を分けるポイントのように思います。

本当に考え抜かれていれば、作った側が細部まで選択の理由を説明できるものです。

パッと見て心地いいもの、「らしさ」があるもの、使いやすいものは、作り手側の徹底した気遣いの証なのです。

見た目は見た目として独立しているものではなく、思想を体現した結果が可視化されたもの。
成功しているサービスやプロダクトの一部のデザインだけ真似してもうまくいかないのはそのためです。

「神は細部に宿る」とは、細部まで行き渡るほど思想や哲学を浸透させられているか、ということだと思うから。
私は見た目の美しいもの、受け手への想像力が豊かなものを評価していきたいし、自分もそういうものが作れるように思考を磨いていこうと思います。

最後に、私がここまで説明してきたことを一言で表現している富山市の森市長の言葉を紹介して、結びに返させていただきます。

人を動かす要素は三つあります。楽しいか、おいしいか、おしゃれか、です。(「福井モデル」より)

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(Photo by Kazuna.H

ラブグラフの応援も込めて、表紙写真にラブグラファーさんの写真を使用させていただくことになりました!写真使ってもいいよーという方はご連絡ください:)

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