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自分の言葉で、語る意義。

noteやSNSの活用について相談を受けるとき、よく聞かれるのが『企業のアカウントと個人のアカウントどちらに注力すべきでしょうか?』だ。

結論からいうと、それぞれに役割が微妙に異なるのでできれば両方きちんと運営するのが理想だと私でなくとも誰もが口を揃えて言うだろう。

でもたとえば立ち上げ直後はやることが山積みで、アカウント運用を誰かに任せられないケースも多いはず。

どうしてもどちらかを選ばなければならないとしたら、私はまず個人のアカウントから育てるべきだと考えている。

コンスタントに公式のお知らせをしなければならないフェーズの前であれば、個人アカウントのファンを増やした方が採用も初期ユーザーの獲得も一番早いと思うからだ。

そして最近もうひとつ『個人が発信する意義』として感じたのは、本職が『書く』から遠い人であればあるほどこの人もはじめたんだ!という驚きにつながるということだ。

ちょうど先週、『プロ野球』のハッシュタグで投稿されているnoteを眺めていたら、BCリーグの選手がnoteをはじめていることに気づいた。

本職のライターやエッセイストに比べれば多少たどたどしさはあるかもしれないけれど、だからこそ本当に自分の手で書いたのだなと感じられるその文章を読んで、『これは応援せねば』と思った。

ブランディングを考えるなら、お金さえあればはじめからライターさんをアサインして綺麗な文章を書いてもらう方が得策なのかもしれない。

でも綺麗に整いすぎていないからこそ読み手の心をうつことも、往々にしてある。
そして整いすぎない『生っぽい』言葉を届けられるのは、企業やブランドなどの法人格ではなく中の人それぞれの個人のアカウントならではの強みだと私は思う。

私たちは、綺麗に整えられた文章ばかりが読みたいわけではない。
多少荒っぽくても、『面白い』文章が読みたいのだ。

先月からちまちま読み進めているクリス・アンダーソンの「TEDプレゼンガイド」の冒頭に、こんな言葉が出てきた。

『ユニークなプレゼンをしようと思ったら、小手先のテクニックを身に付けるよりもまずあなた自身がユニークな体験をすることです』

これは『プレゼン』を『文章』に変えてもそのまま通用すると思う。

そしてユニークな体験がもつ熱量や感動を本人以上に伝えられる人はいない。

もちろんそれは文章でなくても、今は音声や動画や写真などあらゆる媒体ですぐに自分の経験をシェアできる時代だ。

そして自分の経験や思いを伝えることで、世界は気づかないうちに広がっていく。

ちなみに私がシェアしたツイートに対して、元選手がこんなメッセージとともに引用RTしてくれた。

このツイートをみて実際にそれぞれのnoteを見にいき、過去のnoteをいくつか読んだりもした。

こうやって出会いが広がっていくのもまた、過去の蓄積があってこそのものだと思う。

だからたとえすぐに結果がでなくても、自分の思いや考えを真摯に発信しつづけていれば、いつか誰かが見つけてくれるはずなのだ。

同じプロ野球選手でいうと、田中浩康さんも1年近くnoteを書き続けてくれているクリエイターの1人だ。

(ちなみにはじめて読んだとき、てっきりライターさんが書いているのだと思っていたらご本人が書かれていると知ってびっくりした記憶がある)

これまではメディアを通してしか垣間見ることができなかった野球への姿勢や今の考えを、こうして本人の言葉で読める/聞ける時代はとても贅沢だ、と私は思う。

もちろんスポーツ選手だけではなく、経営者やアーティストや研究者など、普段ふれない職種の人たちが『自分たちにとっての当たり前』を書くだけで、それは他の人にとってユニークなコンテンツになる。

メディアという第三者の目が入るからこそ面白くなるコンテンツもあれば、本人が生の思いを届けるからこそ胸をうつコンテンツもある。

そうやっていいコンテンツが世の中に溢れていくことが、世界をよりよい方向に前進させていくのだろうと私は思うのだ。

★noteの記事にする前のネタを、Twitterでつぶやいたりしています。



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