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木々を想いながら、「自然な成長」を考える

3月に読んだ本で紹介した「別冊NHK100分de名著 『社会契約論』」のなかでは、社会契約論だけではなくルソーの著書である「エミール」にも言及されていた。

本書でルソーは、教育は「自然」に従わなければならないと繰り返し主張します。言葉を換えれば、それは人間の「自然な成長」に沿った教育をせよという意味です。
たとえば、わたしたちは言葉もしゃべれず歩くこともできない状態で生まれてきます。それが「自然」なことです。そんな赤ちゃんに、いきなり歩くための教育をしても意味のないことでしょう。それはむしろ、赤ちゃんを苦しめるだけです。
(中略)
でも当時の人びとの多くは、教育における「自然な成長」の重要さに、ルソーにいわれるまで気づくことさえなかったのです。

私は「エミール」を読んでいないので、ルソーの「自然な成長」の解釈はこの特別講義の講師である苫野さんの解説の範囲内でしか理解していないけれど、このワードは思いがけず私の意識に残り続けた。もともとは子供の教育に関する概念だけれども、リスキリングや大人の学び直しなど、大人になってからも「教育」によって自らを成長させていかなければならないと追い立てられる私たちにとって、今こそ重要なワードなのではないかと思う。

ところで、ここ最近無性に「木」に惹かれることが増えた。年齢とともに草花に惹かれるようになり、どこにアップするわけでもないのについ写真を撮ってしまっていたのだけど、その対象が徐々に樹木に移りつつある。

特に松が好き。特に漢詩にでてくる「孤松」の風景は味わい深い

以前、盆栽の達人の方のインタビューを読んだ記憶がぼんやりと蘇る。

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思索綴

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