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街が人を選び、人が街をつくる

スコットランドにやってきて早くも1週間以上が経った。その間ずっと学校があるエディンバラに滞在していたのだけど、この週末はスコットランド最大の都市・グラスゴーに足を伸ばしてみた。

エディンバラの人たちからは「グラスゴーには大したものはなけどね」と言われていたのであまり期待せずにきたのだけど、たしかに圧倒的にエディンバラの方が街並みもそこに暮らす人たちの振る舞いも魅力的だったなと思う。
もちろんグラスゴーも古い建物がたくさんあって、人も優しくておちゃめなのだけど、先にエディンバラの魅力をしってしまうとなんだか物足りなくなってしまう。

それはグラスゴーが商業的に発展した街であり、どこの国にもあるグローバルブランドや近代的な建物が多かったからなのだと思う。

住むには便利だけど、ともすると他で代替できてしまう街。
「ここは日本でいうとあの駅みたいなものなのかもね」と話しながら、他には代えられないと自分が確信しているものこそがアイデンティティと愛につながっていくのかもしれない、と思った。

エディンバラに住む人たちは、みなエディンバラが大好きだ。
学校の先生たちも、カフェの店員さんも、ホステルのスタッフさんも、みんなエディンバラの話題になると饒舌になる。
しかも意外と生粋のエディンバラっ子は少なくて、近隣都市やイングランド、他のヨーロッパからこの街を気に入ってわざわざ移住してきた人たちが多いことに気づいて驚いた。
つまり自ら選択してこの土地にやってきた人が多いからこそ、街の知的な雰囲気や歴史を感じさせる空気がずっと保たれているのだと気づいたのだ。

語学学校に通っていたとき、同じクラスの子たちが全員物静かでとても驚いた。

ブラジル人やスペイン人など、一般的に陽気とされている国の子たちがクラスのほとんどを占めていたにも関わらず、だ。
休み時間に誰も会話せず黙々と予習をしたりスマホを触っている光景を日本以外で見るとは思わなかった。

でも考えてみれば、暖かい国でクリスマス休暇を過ごせるはずなのにわざわざこんな極寒の国で英語を学ぼうとやってくるくらいなのだから、パーティーよりも家で本を読んでる方が好き、みたいな子たちが集まっていたのかもしれない。

小学生の頃、休み時間にグラウンドでサッカーやドッヂボールをするより、図書館に行ったりお絵かきをするのが好きな子たちがいたように。

そしてこの街はそういう、知性と伝統を愛する人を自然と集めてしまうのかもしれない、と思った。

これまで10ヵ国近く訪れた街の中でも、エディンバラは格段に街の雰囲気とその街に住む人の雰囲気がマッチしている場所だった。

それは地方都市でありながらも他所からの移住者を柔軟に受け入れ、その街を愛する人が集まって作り上げているからこそ実現している雰囲気なのだと思う。

ちなみにエディンバラはスコットランドの首都だけど、街のサイズとしてはグラスゴーの方が大きく、日本でいう鎌倉くらいのサイズの街である。
だから観光客も、歴史や伝統に興味がない人は足を向けないか一瞬で去ってしまう街でもある。

つまり必然的にここに長く残る人は選別されていき、街に惚れ込んだ人がそのまま移住してきたりするようだ。

儲かるから、便利だから、発展しているからという経済的な理由ではなく、ただここが居心地がいいから、自分の人生をここで過ごしたいと選択した人々がここで暮らしているのだ。

エディンバラでこうした循環を体感してみて、これから世界中の地方自治体がこうした価値観や哲学によって居住者を集めていくべきなのかもしれない、と思った。

グローバル経済が発展し、チェーン店によってQOLがフラット化したことで、私たちは世界のどこでも暮らせるようになった。

だからこそわざわざ『住みたい』と思われる街を作り出せるかどうかは、いかに価値観が近い人たちを集め、その価値観をもとに街をつくり、真似できない空間を作り上げるかにかかっているのではないかと思う。

自分たちは何を豊かだと思い、どんな街で暮らしたいのか。

哲学や美意識を持つことは企業やブランドだけの問題ではなく、まちづくりも含めあらゆる『コミュニティ』が考えるべきテーマなのではないかと思うのだ。

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