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自分の心が動いた瞬間を冷静に見つめる

フリーランスになって気づいたのは、仕事と遊びの境目が曖昧な分、ある意味ずっと仕事モードが続いてしまうということです。

働こうと思えば一切休みを作らず働きまくることもできるし、休もうと思えば平日丸っと休んだっていい。

その裁量を決めるのは、他でもない自分自身なのです。

私はやりたいことがありすぎて、自分の中で休みと設定した日でも残してきた仕事が気にかかり、休日をなかなか楽しめないタイプでした。

独立直後は、仕事が「楽しいこと」であるが故に、純粋な遊びとしての「楽しいこと」とどちらをとるかスケジュールで悩むことも多く、仕事のセーブの仕方や休日のバランスについて試行錯誤を繰り返してきました。

最近になってやっと「今を楽しむ」ができるようになってきたのですが、そのきっかけは10月に2週間東京を離れたことが大きかったように思います。

地方にいた2週間もほぼいつも通り仕事をしていたのですが、とはいえ慣れない土地ということもあり、東京にいたときより作業の時間がはるかに少なくなってしまいました。

それでも、東京にいるときより、地方にいた2週間の方が圧倒的に作業効率がよくなったようで、たいしたトラブルもなく淡々と日々が過ぎていきました。

そのときに気づいたのが
ああ、それでもちゃんと日常は回っていくんだな
ということ。

地方にいた期間は人と会う予定もいれられないし、夜が終わるのも早く、普段の6〜7割くらいの力しか出せていなかったように思います。

それでもちゃんとnoteは毎日更新しつづけられたし、仕事で緊急対応が入ることも一切ありませんでした。

ちょっと力を抜いても、案外どうにかなるのかもしれない。

この時にそう感じられたおかげで、友人と遊んだり、1人でお散歩したり、映画館や美術館に足を運ぶことに、うっすらとした罪悪感を持たなくてすむようになってきました。

そしてちゃんと心の底からその場を楽しめるようになって思うのは、自分の感情が動かさなければ、人の感情を動かすことはできないということです。

「あの仕事残してきたけど、いつやろう」
「そういえばあの人にも連絡しなくちゃ」
と絶えずバックグラウンドで仕事脳が働いている状態ではなく、
楽しい!
と自分の感情を揺り動かすこと。

そのあとで、
「なぜあのとき感情が動いたのか」
「どうすればあの感情を再現できるか」
を考えること。

理性と感情の両輪を動かすためには、どちらも中途半端にするのではなく、その時々によってどちらかに振り切った方が、より大きな発見があると気づきました。

私のように、仕事が好きすぎる故の「楽しいことへの後ろめたさ」を感じていいる人は、ぜひこんな風に自分を納得させることで、しっかり「楽しい」を心の底から味わってほしいなと思います。

人の感動を作れるのは、豊かな感受性をもって自分の中の「感動」を再現できる人だと思うから。

私はこれからもちゃんと「楽しい」に貪欲に、自分が楽しむことを忘れずにいたいと思っています。

(Photo by tomoko morishige

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