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応援にも、何かを変える力があるのだと気づいた日のこと

「応援が力になる」なんて、綺麗事だと思っていた。

大きな声援はたしかに嬉しいものだけど、チャンスで盛り上がるときほどその声が届かないくらい集中することも知っている。

戦っているのはあくまで選手たちであって、私たちの応援が試合を左右することなんてないとどこか冷めた気持ちを持っていた。私は私の自己満足として彼らを応援したいのであって、たとえその声は届いていなくたっていいのだと。

今シーズンが開幕して、早くも1ヶ月が経とうとしている。オープン戦から続く無観客試合にも慣れ、これはこれで集中して試合が見られていいものかもね、なんて話したりもしていた。

もちろん現地で見る試合に勝るものはないけれど、それは私たち側の問題であって、選手にとっては観客がいようがいまいがやることは同じだ。慣れないうちは戸惑うかもしれないけれど、野次や相手の応援歌に気圧されない分、やりやすいと感じる選手だっているかもしれない。

そう思っていたので、開幕してから選手たちが口々に「無観客試合は難しい」という言葉もリップサービスを含んだ発言だと思っていた。

私たちファンは、代わりに戦ってあげられるわけでもなければ役に立つアドバイスができるわけでもない。いざ試合がはじまったら声援を送るだけの無力な存在だと思っていたから。

現地観戦の解禁は、思ったよりも早かった。
ソーシャルディスタンスを保つためにガラガラに見える客席、声を出さない拍手だけの応援、選手たちの声出しがそのまま聞こえて来るスタジアムの静けさ。
いつもの雰囲気とは程遠かったけれど、それでも観客席に人がいるだけでこんなにも試合の見え方が変わるのかと驚いた。

思い返してみれば、球場に人がいる試合を見るのは8ヶ月ぶりのことだ。

声は出せなくても、拍手で応援の気持ちを伝える現地ファンの想いがひしひしと伝わってきて、ストリーミング観戦していた私も思わず応援に熱が入っていった。応援の熱は伝播してゆく。

やっぱり観客席に人がいる試合はいいなあ、と思う。どんなにファンからのSNS投稿やビデオレターを映しても、現地の熱気には敵わない。選手たちも心なしがいつもより楽しそうにプレーしているように見えた。

その日の名古屋ドームは、エース同士の投げ合いの末、2-1の僅差で9回裏を迎えていた。

後攻の中日は、最低でも一点は返さなければならない場面。ファン全員が祈るように見守る中、先頭打者がヒットで出塁する。同点のランナーだ。

次のバッターはもちろんバントでランナーを送りにいく。と、ここで投手の悪送球があり、ファーストもセーフになった。

ノーアウト一、二塁。サヨナラのチャンスに、球場全体のボルテージが上がっていく。

その瞬間、「ああこれが応援の力なのだ」と思った。

久しぶりに体感する応援の「うねり」のようなものに、思わず鳥肌が立った。潮目が変わる音がした。

その勢いのままに、あっというまに1アウト満塁のチャンスで大島に打席が回ってくる。

センターへと打ち上げられた犠牲フライは、三塁ランナーがホームを踏むには十分な大きさだった。

結果的に同点に追いついただけで終わったものの、次の回をしのげば10回裏は好打順だ。サヨナラ勝ちの可能性に球場全体が揺れていた。

攻守交代で大島が守備につくとき、ファンの声援に応えて帽子を取り、観客席にぺこりとお辞儀をする。

ああ、この姿を見るのも久しぶりだ、と思った。活躍した選手を讃え、それに選手が応える。こんな何気ないやりとりにも感動してしまうほど、観客のいる試合に飢えていたのだと気づいた。無観客試合でもいいなんて言っていたのはどこのどいつだ。

10回表の広島の攻撃も4番からの好打順だったが、祖父江が綺麗に三者凡退に抑えた。勢いはますます中日に傾いていく。

そして10回裏、ビシエドが打った瞬間に誰もがホームランを確信するほどの当たりを放つ。絵に描いたようなサヨナラ勝ちだった。

歓喜に沸く球場の様子を見ながら、きっとこれが無観客試合だったらあそこまで一気に流れが変わることはなかっただろうな、と思った。逆転勝ちはいくつもあったけれど、こんなにも空気の変化によって勝敗が決まった試合はなかった。

応援には、流れを変える力がある。

これまでは綺麗事だと思っていたフレーズが、急に胸に迫ってきた。本当に、応援には力があった。私たちファンは、無力なんかじゃなかったのだと。

もちろんどんなに応援しても勝てない試合はたくさんある。気持ちだけで勝てるほど甘い世界ではないし、勝負事には時の運もついてまわる。

ただ、ファンの想いを乗せた声援はちゃんと選手に伝わって、結果すらも変えていく力がある。

無観客試合を経験したからこそ、気づけたことだった。

大野がインタビューの中で、ファンの声援への想いが変わったエピソードを披露していた。
エースとして登板しながらも9試合連続で白星に恵まれない中、本拠地からは遠い千葉で迎えた試合。
わざわざ足を運んでくれたファンへの申し訳なさを感じながら、野次が飛び交うことも覚悟していたという。

しかしファンから聞こえてきたのは、「大野がんばれ」の大声援だった。

「自分のふがいなさと、そんな投手を応援してくれることへのうれしさ。あれは今までにない感情でした」

本当なら野次の一つも飛ばしたいであろう場面で、声を枯らして自分のことを応援してくれている。その声援の意味を心から理解した左腕は、その日やっと念願の白星を手にする。

お立ち台で涙を流した日から、ファンの声援への向き合い方も大きく変わったという。

応援は、直接的に何か役に立つわけではないかもしれない。試合をするのは選手たちだし、戦略を考えたりアドバイスするのは首脳陣だ。

ファンにできるのは、ただ信じて声援を送ることだけだ。

でもその声援には、試合結果を変える可能性を持つほどの力がある。「チーム一丸となって」の「チーム」の中に、たしかに私たちも存在している。

私たちの応援が、チームの喜びにつながると信じて。また球場いっぱいの大声援を送れる日を、私は今日も夢見ている。

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大野へ

泣きながら強くなる私たちの愛するエース、次はまたお立ち台で泣こうね!来週こそ白星!

(2枚めの大野、何回見てもほんとアホっぽくてかわいい)

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