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文化の継承手段としての小売を考える

「リテール・フューチャリストです」と名乗ると、十中八九「具体的にどんなお仕事をされているんですか?」と聞き返される。私も自分で名乗り始めるまでは「フューチャリスト」という肩書き自体を知らなかったし、コンサルタントやライターと比べるとまだわかりやすい共通のイメージが確立していない職業だと思う。私自身も、名乗り始めたはいいものの仕事内容の説明にはいつも四苦八苦してきた。

私が専門として掲げている「消費文化」も、分野として確立しているわけではないのでわかってもらうのまで時間がかかる。商業的な意味合いが強い「小売」と、非営利のイメージが先行する「文化」の組み合わせに、違和感を持つ人も多い。

しかし私は、その2つは地続きだと考えている。

文化を継承し発展させていくためには、商業的な持続可能性が必要不可欠だ。日本に限らず、どんな国でも経済的に成り立たない伝統や習慣は淘汰され廃れていく。しかし便利で合理的な生活を突き詰めた先で、私たちはある日ふと「何のために利便性を追い求めているのだろうか」と疑問を抱く。

私たちが私たち自身であるためのもの、そして生きる意味と価値を生み出すこと。それが「文化」の持つ役割だと私は思う。

儲けのために名もなき大衆に向けて大量生産されたものは、人間から自己肯定感や存在意義を奪う。代替可能な存在としてではなく、私が「私」であるために、文化的な営みが必要なのだ。

「文化」というとアートのような非日常的なイメージを持つ人も少なくないと思う。しかし日々の暮らしにこそ自分を自分たらしめるものが必要であり、身近な買い物を通して文化を支えることこそが、幸福の総量を最大化させるはずである。

小売企業を成長させるために文化的な文脈があるのではなく、幸福を最大化させる手段として小売が大きな役割をになっていると考えているからだ。

「小売」ではなく「消費文化」の括りにこだわるのもそこに理由がある。

そして小売の中でも百貨店への関心が高いのは、本来その役割は単なる消費の場ではなく、文化を創り育て、継承していくところにあるからだ。

「デパートの虫」と呼ばれた高島屋の川勝堅一は、百貨店を「立体的文化都市」と表現した。

一つの頭脳で、最も合理的に、統制経営の妙を極めた、よろず小売店の総合的立体都市…それは、すなわち文化生活者の必需機関として、社会の、公共的存在とまで謳わるる、デパートの異名でなくてはならぬ。
(川勝堅一「デパート新風景─百貨店を立体的文化都市に見立てる─」より)

私も以前百貨店を「文化の番人」と表現したことがある。

斜陽産業と呼ばれて久しい百貨店だが、日本の文化発展の歴史を語る上で欠かせない存在だ。欧州に比べて美術館や博物館が脆弱だった時代に、期待の芸術家を見つけ出し活躍の機会を与えてきたのは百貨店だった。

現在では日本でも文化産業が発展し、百貨店以外にも質の高いものを扱う店舗の選択肢が増えたために、その役割は百貨店だけが担うものではなくなった。しかし「文化都市」と呼べるほどの規模と多様性をもつ存在は百貨店以外にはないと私は考えている。

だからこそビジネスの手段としてではなく、文化の担い手として自分たちを再定義し、そのためにいかに経済合理性を成り立たせるかを今一度考え直す必要がある。

私のフューチャリストとしての仕事は、百貨店をはじめ、ブランドや工場にいたるまであらゆる役割において「自分たちは何のために存在するのか」を捉え直すきっかけを作ることだと思っている。

現場で真剣にものづくりや販売に従事している人ほど、つい本来の目的を忘れて自分たちの生存可能性を高めるためにどうするべきかという思考に陥ってしまう。目の前の数字の動きがリアルだからこそ、少しでも変動があったときの不安や同様も大きくなる。

そんなときは「こうすれば売上が伸びますよ」「これをやれば安心ですよ」とわかりやすい解決方法に飛びつきやすい。もちろん具体的で直接的な解決方法が必要なケースもあるが、目の前の課題を解決するためにやったことが長期的に見て信用を毀損してしまうこともある。

これまで様々な経営者に話を伺ってきたが、共通していたのは小手先のテクニックではなく「自分たちの使命に忠実に、顧客に誠実にあること」が結局は成功につながるということだ。

テクノロジーの進化によって誰もがものを作り販売できるようになり、ブランドづくりのハードルは劇的に下がった。それは裏返すと、参入障壁が下がりライバルが増えたということでもある。

すると、初めは自分や顧客の喜びのためだったはずが、競争が激化したことで売ることが目的化し、喜びから苦行になってしまう人もこれから増えていってしまうのではないか。それこそが私が一番危惧していることである。

本来、モノの売買はお互いを認め合う営みであったはずだ。自分の存在意義をかけて作ったものが、誰かの生活に馴染みその人の存在意義へとつながっていく。この連鎖こそが消費の循環の本質である。

消費文化を健やかに保ち、幸福の総量を増やすためにこそ、私は「フューチャリスト」として、小売が担う役割に立ち返るきっかけを作り続けていきたいと思うのだ。

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