なぜ武士の生き様にかっこよさを感じるのか
よく聞かれる質問のひとつに『好きなタイプは?』というものがあります。
個人的にはこの質問について自分の中で深掘りすることは新たな自己発見につながるのでわりとよく考えるのですが、最近は『武士っぽさ』を感じる人が好きなのではないかと自己分析しています。
幕末史が好きで尊敬する人物は勝海舟、葉隠と武士道をこよなく愛する人間として当たり前といえば当たり前な気がするのですが、そもそもなぜそうした武士らしさに惹かれるのだろうか、ということを自分なりにぐるぐると考えていました。
そこでふと気づいたのは、私にとってかっこよく生きるということは自然を超克することであり、その象徴が武士なのかもしれない、ということ。
組織や仕組みを考える上では自然であることは非常に重要なのですが、ひとつの個体としては自然な流れに意志を持って抗うことが人間として生きる意味だという価値観が私の根底にはあります。
本来できないことを身につけること、自然な反応を自らの意志でコントロールすること、普通なら結びつかないものを繋げる楔となること。
自然のままに生きることも美しいけれど、あえて自然な流れに抵抗し、自分でなければ成し遂げられなかったことを実現するのが、人が人として生きる美しさなのではないかと思うのです。
そう考えてみると、武士は『死』という生物として最大の恐怖を乗り越えようとする存在です。
切腹によって死を自らの手でコントロールし、何者にも侵食されない自分の精神領域を獲得する。
『明日死ぬように生きる』とは、単にやり残した後悔がないようにやりたいことをやりましょう、という話ではなく、明鏡止水の精神世界を構築するということなのです。
私自身も最近は読書を通してそうした精神の鍛錬を目指し、命への執着や自意識からの解脱を目指していますが、それはこの先50年以上かけて完成させていく道なのだろうと思っています。
一般的に言われる『好きなタイプは?』の質問のカジュアルさに比べると私の場合はより憧れや尊敬に近い『好き』のような気もしますが、今のところかっこいいと感じる人の共通点はこの『武士っぽさ』に収斂していくなあというのが最近気づいたこと。
そして一緒にいて安心を感じられる友人や家族は性別を問わずたくさんいるけれど、『かっこいい』と感じる人はある時期にひとりだけなのだなあ、ということも。
とはいえ、平成も終わろうというご時世にいまだ武士っぽさを残して生きる人は天然記念物だと思うので、見かけた方はぜひ私までご一報ください。
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