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世界を変えるのは、私自身のフィルターだから

『最所さんは、会話の中で "私"をよく使う』

似たようなことは、いろんな人から指摘される。

会話だけではなく、普段書いている文章にも『私』が多い。私が考えたことを書いているのだから、当たり前なのだけど。

まだ英語で長文を書いたことはないけれど、私が英語で記事を書いたら日本語よりも顕著に"I"の多さがわかるかもしれない。

私は、いつ何時も『私』のことを考えている。

人の話を聞いているときも、本を読んでいる時も、『私』が何を考えどう感じるかに興味がある。

一生をかけて、私は『私』を研究し続けていきたいと思っている。

自己中だと言われれば否定はしないし、『最所は本当に自分が好きだな』と言われるたび、ピンとはこないけど、周りから見ればそう見えるんだなと納得はしている。

でも私はむしろ、みんなそこまで自分に興味がないことにびっくりする。主語が "I"以外で何を語るんだろうか、と。

私にとって、『私』を研究することは世界を研究するということだ。

私たちは自分という主観からは絶対に逃れられなくて、どんなに客観的に見ようと努力したとて、すべてはフィルターを通して見聞きしたものにすぎない。

広い世界に住んでいるように見えて、実は『私』という小さな世界に私たちは住んでいる。

だから自分のフィルターが変化すれば同じものを見ても世界は違って見えるし、他の人と私の目にはそれぞれ違う世界が映っている。

私は人と1対1で話すのがあまり得意ではないし好きでもないけれど、唯一『私というフィルター』を言語化できる人とは仲良くできるのだと最近気づいた。

私とは違うフィルターの話は面白い。別のレンズで顕微鏡をのぞいているような気持ちになるから。

つくづく、私は世界をのぞいて発見したり驚いたり理解したりすることが好きなんだなあと思う。

世界の真理や神秘を、もっともっと知りたい。たくさんのことに気づきたい。

そのために必要なのはひたすらに内省することだと思うからこそ、私は今日も『私』について考えている。

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