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迷うヒロインこそが、現代の共感を生む

2年ほど前から、朝ドラ観賞にハマっている。
15分という絶妙な尺と朝番組ならではの爽やかさ、そしてノスタルジーを感じるほどのハートフルなエピソード。
毎日朝の支度をしつつ見るのにちょうどいい作りになっている。

特にお気に入りだったのが『半分、青い。』で、見終わった際にはその感想を泣きながら書いた。

そして最近ハマって見ていたのが『まれ』だ。

もともとは朝ドラに出ている山崎賢人が見たいという不純な動機で見始めたのだけど、ヒロインの明るさや能登の人たちのあたたかさに惹かれ、半年分の放送を3ヶ月も経たずに一気にみてしまった。

ただ、私が気に入っているこの2作品はネット上ではあまり評判がよくなかったそうだ。
その理由として共通していたのは、どちらもヒロインの行動に一貫性がなかったこと。

『半分、青い。』の鈴愛は漫画家や100円ショップのアルバイト、起業家などそのときどきで職を転々とする。
『まれ』の稀も、昔からの夢だったパティシエの修行を諦めて女将になったり、やっぱり自分のお店をやりたい!とパティシエに戻ったり、ころころ決断が変わる。

逆に最近見た『なつぞら』では、主人公のなつは一貫してアニメーターの仕事からブレることなく、あらゆる困難を乗り越えながらアニメを作り続けた。

ひとつの職業に邁進する姿は美しいし、迷ったり決心を変えたりするヒロインにハラハラしたりイライラしたりする気持ちもわかる。

しかし私は、鈴愛や稀の物語こそがとても現代的でリアルで、面白いと思った。

現代を生きる私たちは、性別に関わらずたくさんの選択肢に囲まれている。
転職や独立は今や当たり前だし、結婚や出産などのライフイベントはもちろん、移住したりシェアハウスに住んだりと暮らし方の自由度も上がった。

自由になったがゆえに決断を迫られる場面も増え、常に『自分にとって大事なのは何なのだろう』という問いを突きつけられている状態だ。

そしてはじめに選んだものがずっと大切であり続けることはほとんどなく、そのときどきで変わったり、また同じところに戻ったりもする。
好きでも離れなければならないときだってあるし、離れてみてやっぱり好きだと思い直すこともある。

昔よりも格段に人生が長くなった私たちは、迷う回数もそのたびに苦しみながら何かを選択する回数も、格段に増えた。

そんな時代だからこそ一貫した人生に憧れを持つ人もいるだろうし、私のように迷う人生に共感を覚える人もいるのではないかと思う。

一貫した人生は、もはや共感ではなく『憧れ』だ。
私たちが共感するのは、迷ったり寄り道をしたりしながらも、オリジナルの人生をデザインしていく姿なのではないだろうか。

今やっている仕事が定年まで存在することはほとんどありえないし、今使っているサービスも5年後にはまったく違う姿になっているだろう。
そんな時代に生きる私たちは、望むと望まざるとに関わらず迷いながら人生をデザインすることになる。

一本道をまっすぐ歩けなくても、帰る場所があって前を見る気持ちさえあれば、未来はどれだけでも開けている。

リアルな中にそんな希望が織り込まれていることが、今のコンテンツに求められる要素なのではないかと思うのだ。

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