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答えはいつも「中庸」の中に。

仕事をしていると、常に判断や決断を迫られる場面がでてきます。

AにするかBにするか、これをよしとするか悪とするか、優先順位をどうつけるか。

判断のスピードを上げるためには自分の軸を作る必要があるのですが、私はいつも善悪の箱にいれるのではなく、メモリを移動させるイメージをもっています。

というのも、経験を積めば積むほど世の中に絶対的な『善悪』なんてものはないと思うから。

今この瞬間に『正しいであろう』道を選ぶことしか、私たちにはできません。

そしてAこそが正義でBは絶対に悪!と凝り固まった考えをもってしまうことは、思考の選択肢を狭める危険を孕んでいると思うのです。

よく『中庸』という言葉が使われますが、考えれば考えるほど、これほど重要な概念はないのではないかと思うほど。

ちなみに『中庸』という言葉を調べると、『極端な行き方をせず穏当なこと。片寄らず中正なこと』と説明されています。

これは見方によっては丸くなって面白くなくなるともとれますが、私はむしろ広大な世界を認識した上で自分のポジションを見つけることだと理解しています。

先ほどの箱とメモリの例で言えば、一度箱に入って「自分はこのポジションだ!」ということは、もしやっぱり違ったと気づいたとしてもなかなか他の世界に出て行きづらくなってしまいます。

でも、メモリの意識をもって「もうちょっとA寄りかな」「いやもしかして第3の道としてCもあるかもしれないぞ」と軸を増やして思考のバランスをとること。

それこそが『中庸』の本質なのではないかと思うのです。

こうすることで、もし戦略として極端な選択をしたとしても、自分の立ち位置がより広い世界でみたときにどのあたりなのかを客観的に見ることができます。

すべてのことは『絶対』なんて言い切れなくて、ただどちらかにメモリがふれているだけのこと。

世界は混沌とした『中庸』の中にあると理解することこそが、目の前の相手を理解し受容する第一歩なのではないかと思います。

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