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#コラム
「わかってもらう」よりも、
エンドクレジットがスクリーンいっぱいに映され、パッと照明がつく。客席にざわめきが戻り、伸びをしたり小声で感想を交わしたりしながら、いそいそと帰り支度を整える人々が劇場内の空気を揺らす。
おそらく、その場で泣いていたのは私だけだった。エンドロールが流れる間も、声も出さずにひたすら下まぶたから滴り落ちる雫だけを感じていた。
「この映画、好きだと思うよ」とある日友人に勧められた。調べてみると、私の好
贅沢な悩みと幸福への引け目
"人は傷つく必要なんてない。絶対にない。"
シンプルだけど、強くて重い言葉。思わずかじりかけのパンを皿に戻し、食い入るように画面を見つめた。幸せに生きてきたことへの罪悪感と、傷ついた経験への憧れ。人に吐露することさえ憚られそうな、けれどきっと心の底では誰もが胸を掠めたことがあるであろう「幸せな人ならではの悩み」へのアンサーを、息を潜めながらじっと聞いた。
「おかえりモネ」は、傷と向き合う人たち
美しく滅びゆく「私のすべて」
家の中を片付けていると、存在すらも忘れていた懐かしいものに出会うことがある。それまで記憶の片隅にもなかったはずなのに、たったひとつのモノがきっかけで当時の匂いや温度がそのまま蘇る。きっとモノは思い出を閉じ込めておくための外付けハードディスクで、私たちはモノを通じて自分の歩んできた道を記録しているのだろう。
普段の生活では特に役に立たないけれど、生きるために必要なもの。私が私であるために、必要なも
人生は「無駄なこと」でできている
窓を全開にして夜風に吹かれながら、ふうっ、と天井を見上げる。
特に何をするでもなく、初夏の空気を感じながら「こんなときでも季節は進むのだなあ」と考えたりしていた。
スーパーに行った帰り道、人が少ない場所を選びながら散歩をする。
あっというまに桜の季節は終わり、新緑のまぶしさが目に飛び込んでくるようになった。
1日のほとんどの時間を家の中で過ごすようになって早1ヶ月。
少し前の自分ならば無駄だと
応援は、「ヒーローであること」を背負わせることでもあって。
子供の頃、誰の心の中にも「無敵のヒーロー」がいたはずだ。
アニメの主人公はもちろん、両親や兄弟、友人が無敵に見えていた時期もあるだろう。
自分に何かあったとしても必ず守ってくれて、絶対に負けない最強の存在。
そんな特別なヒーローに守られている自分もまた、特別なのだと信じて。
***
しかしやがて、その全能感とも呼ぶべき憧れには限界があることに気づく。
アニメはあくまでフィクションだし、生
『読む』というクリエイティブの力 #BOOKTALK
読書は情報をインプットするための受身な行為である。
世の中はアウトプットの重要性を説く言説で溢れているし、読むだけ・見るだけではたしかにお金は稼げない。
しかしインプットが人間の行為である限り、全員が同じ感じ方をすることは不可能だ。
さらにアウトプットはインプットに対する個人のフィルターありきのものだから、インプットの時点で私たちは創造性を発揮している。
読むことは、それ自体がクリエイティブな
『タイムリッチ』に生きること
抜けるように青い秋晴れの空を見て、『今日はイヤホンを外して歩こう』と思った。
目も耳も、体のすべてで秋を感じたいと思ったのだ。
普段は自らに課したノルマに追われるように英語のリスニング教材を聞き、電車待ちで時間が開いたら英文を読んだりSNSをチェックしたりと忙しなく過ぎていく時間。
その一瞬をイヤホンもスマホもなしで歩くだけで、こんなにも世界の色は違って見えるのか、と驚いた。
インプットでもな
迷うヒロインこそが、現代の共感を生む
2年ほど前から、朝ドラ観賞にハマっている。
15分という絶妙な尺と朝番組ならではの爽やかさ、そしてノスタルジーを感じるほどのハートフルなエピソード。
毎日朝の支度をしつつ見るのにちょうどいい作りになっている。
特にお気に入りだったのが『半分、青い。』で、見終わった際にはその感想を泣きながら書いた。
そして最近ハマって見ていたのが『まれ』だ。
もともとは朝ドラに出ている山崎賢人が見たいという不
それは、ファンタジーなのかもしれないけれど。
花より男子、ミントな僕ら、グッドモーニングコール、イタズラなKiss。
中高生の頃、友達と貸し借りしあったり、少ないお小遣いをやりくりしながらたくさんの少女漫画を読んできた。
そして読みながら『自分にもいつかこんな物語が訪れるだろうか』と胸躍らせる光景はきっと、菅原孝標女が源氏物語を愛読していた時代からなんら変わっていないのだろうと思う。
きっと未来には素敵なことが起こるはず。少女漫画はいつ