記念日

11時に企業とのオンライン面談があるのに、10時40分に起きてしまった。間に合わせた。母が送ってくれたマスカットを朝ご飯としてつまみながら悠々と話す妄想をしたが、言わずもがな実行はせず普通にシャツを着てにこにこと受けた。
そのあと立て続けに別の就活のオンラインイベントがあったけれど、それは参加しなかった。

昨夏イギリスで買った香水をふると、以前にこれをつけた日のせつない感情を追体験した。それが何月何日か、誰と何をした日だったのかは不明である。

本屋さんで暇を潰そうと思い、烏丸にある泥書房を訪れた。行くまで知らなかったのだが、そこは短歌専門だった。とても愛想のよい店員さんが迎え入れてくれ、一通りの店内紹介や短歌本の見つけ方にとどまらず、おすすめの他店まで教えてくれた。
桜木裕子さんの『歌集 片意地娘』を購入した。大島史洋さんの短歌集も気に入ったけれど、二冊も買うのは慎みがないと考えて一冊にした。

しかし短歌はお気に入りを見つけるのがたいへん難しい。個人的すぎて、自分にはまったくわけがわからないものが多いからである。ただ、そのわからなさに思いをはせるのも醍醐味だと承知はしている。

小川珈琲の堺町錦店へ移動した。さっき買った短歌集を読みつつ、ハウスブレンドのミディアムを飲んだ。ラムレーズンのような香りだと説明書きがあったが、肥えていない舌では最後までそれを感じることができなかった。
恋人同士に見える二人組が向かい合い、スイーツを分け分けして食べていた。傍からみれば、甘い食べものと恋人たちという組み合わせはどう足掻いても魅力的である。

夜に会う恋人に待ち合わせ場所を確認した。「河原町今出川の交差点で」とラインがきていて、ちょっと古風でいいなと思った。
いちど家に帰ってベッドに横になりながら、前の日にリリースされたLaura day romanceの「渚で会いましょう」を聴いた。とても好きだ。私たちは渚ではなく、河原町今出川の交差点で会いましょうね。

20時に恋人と合流し、出町座で映画のチケットを買ったあと、中華を食べようと話し合った。目ぼしいお店が空いていなかったので川向こうの王将まで歩いていると、中華そばの屋台が出ておりテンションが上がった。そこでミニをふたつ頼み、鴨川デルタの上のベンチに座って食べた。めちゃんこ美味しかった。
それで王将には行かず、コンビニでエビチリとほっけ、それにビールを買い足し、同じ場所で頬張った。私が買ったピノには星型もハート型もはいっていなかった。

夏の夜の理想を詰め込んだような最高の時間だった。信号付近に佇むまるい月を指して、今日は「月までバカンス」に含めていいかと私が訊くと、いいんじゃない?と君が言ったから、八月二十二日は月までバカンス記念日にする。語呂悪いね。

最近betcover!!を聴いているよと彼に言われた。私も「夢の熱帯夜」をラインミュージックにしているので嬉しい。彼はとくに“字余りの歌”が好きらしく、どの曲?と私がはてなを浮かべていると、「フラメンコ」だった。なるほど。

上映ギリギリに出町座へ戻って、『四畳半タイムマシンブルース』を観た。彼は城ヶ崎氏のくだりがお気に入りだったようで、声を漏らして笑っていた。私は、ふたりの樋口師匠が銭湯で不毛なやりとりをするシーンがシュールで一番好き。

この映画は2回目だが、京都で古本まつりや五山の送り火を経験してから観るのでは味わいが全然違った。「吉田山に大文字焼きをみるのに良い場所を見つけ、いつの日かここに意中の人を案内すると決めていた」みたいな先輩のセリフにときめいた。恋人の意中の人でいたい。私はこっそり、私たちを先輩と明石さんに勝手に重ねてみていた。

自転車で来ていた彼のあとを自転車ループで追い、彼の家まで行った。
彼がお風呂に入るあいだ、若林さんの『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』を勧められたので読んだ。私が以前悩んでいたようなことが書いてある、と彼は言ってくれたけれど、私にとって目から鱗な解決策というわけではなかった。

彼は眠そうにしていたが、結局抱き合った。寝れないでいた私を構ってくれたので、私のことはいいから先に寝な、追いかける、と小声で言った。うん、と寝ぼけ眼で返された。あいしてる、と韻を踏むように言うと、これにもうん、と返された。この会話はきっと彼の記憶に残らないだろう。私だけがおぼえている。

「成就した恋ほど語るに値しないものはない。」

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