距離


ポップアップ

8時に目が覚めた。ラインの通知を見ると恋人からで、今日映画を観に行かない?というお誘いだった。私は文字通り飛び起きた。

1週間前に買ったワンピースを着た。これは試着した4枚のうち、店員さんの反応が最も良かったものである。同じ日に買ったチェーンのかたちのイヤリングもつけ、丁寧にメイクをし、注意深くアイロンで髪を伸ばした。

洗濯のために階段を上がっていたとき、年甲斐もなくこけて、右手の指3本を軽く負傷した。浮かれていたのか?

恋人と会うのは15時である。午前には私が通う美容室で開かれた、キュートな小物をつくる作家さんのポップアップストアを訪れた。オープンより数分前に着いてしまい、私が最初のお客さんになった。

リング、ピアス、バッグ、お人形、陶器、服など、世界観が確立された、すべて手作りの素敵な品々が並べられていた。作家さんは、私が手に取ったものひとつひとつを嬉しそうに説明してくださった。アイラインをくるんとさせていた彼女は、ふわふわということばがぴったりの可愛らしい方だった。けれど独特な作品のコンセプトはどれもしっかりしていて感心した。

キラキラのアクセサリーは意外なものをモチーフにしていた。樹脂でかためられたのをよく見ると、お米やあたりクジや「仲良しの木」だという木のかけらやてんとう虫(本物!)だったり、ラムネの蓋や昔のお金がそのまま使われていたりした。
『蛇にピアス』のスプリットタンをイメージしたという、右腕の袖が二つに分かれた緑のトップスもあった。私の腕が3本だったならば即買いだった。

ほんとうにすべて好みで、中でもいちばん気になったのはオーガニックの布製のバッグである。フリルが付いているが、その先がすこし燃やされている。燃やしたときすごくいい匂いだったから燃やしてみてほしい〜と作家さんに言われた。ショルダーストラップの部分は、まるまると里芋が連結したようになっていた。
金欠気味なので散々悩んだが、めっちゃ似合ってる、という褒め言葉もあって購入してしまった。ちょっとやばい。早くバイトのお給料振り込まれてくれ。ください。

美容室を出るとき、いつもクールでなんとなく怖かった、担当ではない美容師さんが見送ってくださった。すこし身構えたが、極めてにこにこと話してくださったので歓喜した。

再会

一旦家に帰り、インターンの内容の復習をした。バッグの中身を入れ替え、さっきの新しいバッグでまた外に出て、イオンモールKYOTOに向かった。

かなり早く着いた。スタバのドリップコーヒーを飲んだあと、1階の広場で遅れてくる恋人を待った。彼は5月から海外に行っており、京都に帰ってきたのが今日の午前である。ほぼ3ヶ月ぶりの再会なので、ずっとそわそわしていた。最近人との待ち合わせでこんなにどきどきしたことはない。右往左往していた私は傍から見るとやばい奴だっただろう。

やがて、黄色のTシャツを着た彼がやってきた。割と無表情に見えた。日に焼けていた。髪をきれいに切り揃えていた。ほんのすこし髭を伸ばしていた。
思わずぐっと近づくと何度もかわされた。距離感を忘れた、と彼は笑って言った。

しかしよそよそしかったのは最初の一瞬だけで、あとはお互い以前と変わらない様子で接した。彼はずっと手を繋いでくれていた。数日前まで1万キロ以上離れたところにいた彼と、ついに会えたんだ〜と嬉しくて、私の口角は上がりっぱなしだった。

映画までのあいだ、彼がサンダルを買うのに付き合った。イオンのお店ではお目当てのもののサイズがなく、京都駅に戻って探した。くまなく見たけれど、レディースのお店ばかりだったので結局買わずに終わり、上映20分前に映画館へ向かった。

観た作品は話題の『ルックバック』である。ふたりとも原作が好きで、彼が渡航する前から、観に行こうね、と言い合っていた。なので私は1ヶ月観るのを我慢し、いよいよだという期待を膨らませていた。

観終わってみると、面白かったは面白かったし、泣きもしたが、正直物凄い感動はなかった。漫画だけでも良いと思ってしまった。ただ、エンドロールでいつもは見飛ばす制作陣の名前を前にし、この方たちみんな努力していらっしゃるクリエイターさんなんだな、と再認識できた。もちろん映像も素晴らしかった。
明転して劇場外に出ても、なぜか私たちは一言も感想を言い合わなかった。どうだった?と訊くのを私はためらったし、自分が訊かれたとしても、良くない意味で言葉が出てこなかったと思う。彼は、どう思っていたのだろうか。

彼が夜ご飯を一緒に食べようと提案してくれた。それで地下鉄で烏丸御池まで戻ったが、歩き疲れていた私はずっと眠くて、がっつり食べられないなと考えていた。私が欠伸ばかりしていたのを見かけた彼は、ねむたいよね、大丈夫?と気遣ってくれた。ご飯屋さんで彼だけに食べさせるのも気まずいよなと思い、申し訳ないんだけど今日は帰るねと言った。帰国したばかりで疲れているはずなのに会ってくれたのは彼の方で、それに比べると私の行動は失礼すぎる。しかしあのとき私は夏バテに近い状態であまり余裕がなかった。やさしい彼は家の前まで送ってくれた。

別れるとき、彼が渡航先のお土産を渡してくれた。私も日本酒をプレゼントした。彼がにごり酒を好きだと言っていたので、おととい松井酒造でテイスティングして買った神蔵のひそかという銘柄である。日本酒の味の違いは判らないので、彼の口に合うかけっこう心配している。
部屋に戻ってお土産を開けると、こじんまりしたバッグだった。私の趣味ではなかったけれど、日本で手に入らないものをもらえるのは嬉しい。今日はなんだかバッグに縁がある。

こうして、遠距離にいた恋人とようやく再会した日は、キスもハグもないまま終わった。

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