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無意味に生き、無意味に書く

「ぼくの人生なんて無意味だ」

なんてことを書くと、凄くメンタルが弱っているように響くと思う。

多分、同じようなセリフを映画やアニメのキャラクターが言ったとすると、そのキャラクターは失意のどん底にいるはずだ。そして、そこから這い上がっていくストーリー!!! みたいな。


では今、「人生なんて無意味だ」と真顔で書けるぼくが、失意のどん底にいるかというと、そんなことはない。

そんな時期もあったが、今はもう大丈夫。


希望を失って絶望している状況から、なんやかんやあって立ち直る、というのはよくある話だと思う。

ただ、その立ち直る原動力が、「新しい希望」になっていることが多いという印象がある。「希望→絶望→希望new!」のパターン。

多分、このパターンが物語的で語りやすく、語りやすいから多く流通するという事情もあると思う。

例えば映画なんかでも、新しい夢、新しい人間関係、新しい場所、そういうきっかけで立ち直る話は多い。そこで主人公は新しい意味を手に入れ、生きるモチベーションを回復させる。

これはこれで、もちろんいい。

ただ、「このパターンしかない」と思ってしまうと、希望を見つけられない人は失意のどん底で苦しみ続けるしかなくなってしまう。


ぼくの場合は、そういう立ち直り方ではなかった。

というのも、ぼくは「生きること自体」にげっそりしていたので、夢、人間関係、場所のような、生きることの内側にあることによって希望を見出すのが難しかった。

イメージ的には、海中でハンカチを絞って乾かそうとしているような手応えのなさがあった。本当は濡れているのに「絞ったから乾いているんだ」と信じ込むような虚しさだった。

そして、生きることの外側(例えば死後の世界とか)を信じるのも難しかった。生きているぼくが考えられる「生きることの外側」は、結局、「生きることの延長」でしかないと分かっていたからだ。

それは例えば、ぼくが「無色」という色を考えられないのと同じだ。

ぼくが「無色」頭で想像すると、「黒色」か「白色」になってしまう。この世界にない色をぼくは考えられない。それと同じで、生きることの外側について、生きているぼくが考えるのは原理的に不可能だった。


そんなわけで、ぼくは希望を見いだせなかったし、今も見いだせていない。

その上で、失意のどん底で苦しみにもがき続けているわけでもない。希望がなくてもわりと生きていけるし、生きていていいと思う、というのがぼくの考え。

これは、凄く矛盾していて、不徹底な考え方なんだけど、こうやって言葉にすることはできるし、書くことはできる。

そして、書いてみていいと思っている。書いたって無意味だけど、でも生きてるってそういうことじゃないかと思う。

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イェイ!
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「物語」を中心に生きてます。絵と物語を勉強しつつ、漫画制作生活中。

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