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近況と雑感

この仕事(音楽制作とかライブ演奏とかラジオパーソナリティとか大学教員とか)やってると、簡単に失われてしまうことがあります。

それは、音楽そのものと対峙する時の素直な物差しです。

話題性があり売れる音楽、意味のあるメッセージを持った音楽、技術的に凄いタイプの音楽、カリスマ性のあるアーティストによる音楽、マニアが喜ぶオシャレな音楽etc以外の音楽を、知らず知らずのうちに無下にしてしまっていることがあるのです。

音楽なんて、自分の好きなものを勝手に選んで聴けば良いわけですから、誰が何を聴いているとか、そんなこと気にせずに聴く方が、絶対に良いわけです。

勿論、友達にお薦めされたとか、好きなアーティストや芸能人が聴いているからとか、たまたま流行ってて聴いてみたら良かったとか、そんなこんなで新しい音楽に出会うことが最高なのは言うまでもありません。

流行ってるから聴いているけど、私はそんなに好きじゃない、ということも音楽あるあるですが、だいたいの音楽は聴いているうちに慣れてきて良さがわかってくる(かのような錯覚に陥る)ことが殆どです。映画とかもそうですよね。

ただ、音楽はインターネットやテレビを通じて、あるいはラジオや有線なんかを通じて、世の中にサービスとして存在しているものが大多数なので、どうしても売れ線のものが主流になります。そして、売れ線でないニッチな音楽も、ニッチな人々にとっての売れ線の音楽以外は世間から排除される傾向にあります。

ゴミのような音楽や、何の薬にもならない価値の無さそうな音楽も世の中には沢山存在しています。

そして、そういうものを好きになる、ことも、たまにあります。そして、それは素晴らしいことだと私は思っています。

皇室の方や、有名芸能人、あるいは親戚や友人が誰かを好きになって付き合ったり結婚したりするときに、「なんであんな奴と」みたいな恨み節を言う人も居ますが、好きになる理由は売れ線とは関係ないのが人間の面白いところだと思います。そして、そういう性質こそが、本当の意味での多様性への寛容や、あらゆる偏見や差別を具体的に解決していく鍵だと思ったりもします。

今の若い世代の人は、流行り廃り関係なく自分にとって良いものを見つけ出し、自分の感覚に自然にフィットさせる感覚を持っているように思います。

私たちの世代とその少し上の音楽好きの方々の多くは、良くも悪くもスタイルや文脈を大切にして育ってきたので、今の若い世代の人たちと比べると、皆似たようなものを有難がりながら聴いている感じがします(勿論そうじゃない人もいますが)。

遡ること1990年代、当時リバイバル的に再評価されアホみたいな値がついた60's、70'sのサイケデリックなカルト向け音楽なども、現代においては文脈的意味も同時代的感動も殆ど受けることがないものとして埋没しました。

語られるべき文脈を持っていなかったバブル期のJPOPの幾つかの楽曲も、ただの時代の徒花として懐メロ化していきました。

そういったものをふと聴き返してみると、そのうちの幾つかは、とてつもない輝きを放ちながら鳴らされていることに驚くことがあります。

この音楽のどこが、何故好きなのか、ということを説明しにくいものほど、愛着というか偏愛が深いような気もしています。

音楽は人が奏でるものですから、魂を打ち燃やして作られたものの美しさは、どんなものにも存在しているんだなぁ、と思ったりします。

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