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新年のご挨拶と雑感

皆さま本年も宜しく御願い申し上げます。

「頌春」という言葉の意味をあまり知りませんでしたが、親父が書く年賀状には、必ずこの文字が入っています。「迎春」も良いですが、よりこの季節を迎えるにあたり、めでたい雰囲気を醸し出す言葉として、私は気に入っています。

さて、2021年。令和でいうと3年ですね。もう3年も経つのか…。1976年(昭和51年)産まれの私からすると、超未来的感覚のある年代に突入してる感があります。

昨年末はおろか、昨年もいつも通りよく働きました。勿論このような状況なので、皆さまに直接お会いできる機会は殆どありませんでしたが、そのぶんやることは山のようにありました。普段やらないことを必死こいてやることで、私たちは生かされていたというか生きている実感を得ていた気がします。

いつも接している人たちも、新たに出会った人たちも、私ととても深く関わり、なんだかずっとフラフラしていた自分自身の中で、煮えたぎるような熱を帯びた感情を呼び覚ますかのようなキッカケを作ってくれました(岩の上で背中を向けた善逸のように)。私自身、次の時代に向けて何かをアップデートしていくことが必要なのかも知れません。

恐らく、くるりが次に発表するであろう作品群は、以前までの私と、バンドの姿が超高密度、超解像度で表現されている作品なんだと思っています。それが何なのかをひと言で言い表すことは難しいですが、コロナ禍において、誰かを勇気付けられるような高尚なメッセージは、残念ながら皆無に近いような作品なような気がしています。

楽曲の殆どは、『ソングライン』と同じく、少し前に書かれているものが中心です。普段なら無慈悲に打ち棄てられてしまうような、本当にくだらないアイデアなんかを、これでもかと磨き上げることにだけ腐心したような気がしています。そこに関しては、とんでもないレベルだと思います。

対して、比較的最近(ここ1、2年)書いたほんの数曲に関して、珍しく私は自分自身を主人公に歌詞を書いたりしています。これは、私が暫く避けていたことでもありました。

私は、以前からも言っている通り、とにかくピンポイント偏愛者です。フェティシズムに近い感覚で、音楽のとある要素を偏愛します。

なので、「くるりでいちばん好きな曲はなんですか?」とか訊かれると、『ミリオン・バブルス・イン・マイ・マインド』とか答えがちです(実際に偏愛しています)。

ですが、『ミリオン・バブルス〜』には、主体がありません。あったとしても、それは自然現象や生理現象、第六感を使って感じるような、サイケデリックでスピリチュアルなテーマです。

来るべき新作は、その要素たいそう色濃いです。

でも、私はほんとうは、もしかしたら『loveless』という楽曲が、くるりの楽曲群の中ではいちばん好きなのかも知れません。

あの歌詞で歌われていることは、紛れもなく私自身の潰えることのない思いだったりします。

あの楽曲の2番ヴァースをライブなんかで演奏していて、メンバー3人でハーモニーを歌う箇所があるんですが、何故かはわからないのですが毎度毎度涙を堪えるのに必死になります。いちばん熱い気持ちが、ポロポロと胸から溢れ落ちます。

皆さんならご存知かも知れませんが、私はそのようなことを宣うキャラをあまり好きじゃないので、どうも自分自身のなかで処理できない感情でした。

しかし、あの瞬間こそが私自身の精一杯の表現であり、愛の表明なんだと最近改めて思うようになりました。

「私は、まだまだこんなもんじゃない」みたいな承認欲求も、年齢と共に丸くなり、剥き出しの感情では無い部分で、音楽の錬金術を磨き上げる毎日で、これからも多分そうなんだろうとは思っています。

ただ、先述した最近書いたほんの数曲は、『loveless』なんかと同じような、剥き出しの感情が込められているような、そんな気もしています。

未だ聴くことが出来ない楽曲のことを語るのもアレなんで申し訳ないですが、まだ正月なのでビール飲んでおせちでも食います。

どうか皆さまお身体に気をつけて、本年も宜しく御願い申し上げます🤲


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