認識、測定、記録、伝達の中で「認識」の力を高める方法

仕事や学習をする上で重要なものの中に認識、測定、記録、伝達がある。

結局この中で一番重要なのは「認識」だ。

ゼロのものを誰かが認識することでしか世の中には変化が起きないからだ。

したがってより高度なもので、より独自性のあるもので、社会的に価値が高いことを認識する力がある人は社会的な貢献を果たせる能力があるといえる。

しかしこの10年で高い認識能力を持つ人の一部はネットで発信を行うようになり、「認識」というものは競争がかなり難しいものになった。

それでも社会のお荷物にならない程度には「認識」を意識しないと、どこかで知らないうちに有象無象になってしまう。

そうはいっても高度な認識というのは、天才的なひらめきと、膨大で正確な知識が源泉となる。

その意味では天才ではない私ができることは、正確な知識を賽の河原で積み上げて、いつか昇華するかもしれない日を待つしかないのかもしれない。

ちなみに別に認識する力が高くても社会貢献することは義務ではないと思うし、悪行を働く者を批判する資格も私にはない。

それでも私が10年ぐらい関心があるのは認識する力が高いひとだ。

サポートされたお金はすべて、日本にいる一番痛いアラサー女子のチャリティーに使われます。ピアピカの優等種の人がモチベーションを沸かさない、やりたがらない領域に劣等種として頑張ってます。