16時間縁も所縁も無い人と遊び続けたという話
梅雨が終わりそうで終わらない感じだけど、外で遊ぶ時は晴れてくれたので、とても助かっている。
タイトルはフィクションに見えて事実、今時は学生でもそこまでやらないでしょというくらい遊びきった。そこまでやると疲れたとか、シンドイとか通り越して逆に元気になってしまう。賢く生活することはうまくやればできるけど、アホにあるというのは賢く生きる上で必要な計画性や意味、向上心もろもろすべてゴミ箱に捨てるということなのでなかなかハッピーになれる。
何をそんなにやることあるの、と聞かれると困るのだが遊びを言い出した本人は誰に習ったわけでもない独自に習得した「身体」の使い方を見せてくれた。「お前これできるの?」と言われてベンチに座っている人を力を入れないで立たせるようなことをやらされた。
一見簡単そうに見えたが、自分では一晩中やってみたけど全くできない。その他、相手を押したり取っ組み合ったりして投げ飛ばしたりするのだ。
2~3年前くらいから身体操作系のワークショップや体幹を鍛えようという書籍、健康に関するものは徐々に色んなところで色々な人がやり始めたように思うが、そういうものとは一線を画している。
何しろ先生役は至って不真面目で肝心なところはあまり教えてくれないのだ。タバコを口にくわえながら「んん?できないのか?ん?」とこっちを見てくる。先生に対してこのやろうと思う教室はこの時代どこに行ってもないだろう。
「力というのは一点に集中することによって大きく発揮する。手足それぞれが
ばらばらな状態で相手に殴りかかってもうまく倒せないが、全身をひとつの面としてみてこうすると相手は崩れる。」と言って幾人かの前で吹っ飛ばされる実験台にさせられた。
体当たりをするときに軽く勢いをつけて、下半身の面に気を集中させる。相手と接着するタイミングで腰を抜き、その反動作用をすべて相手に流すとどうなるか。食らった相手は車に跳ねられたように吹っ飛ぶのだ。ああ、映画のスタンドみてえだなと公園の芝生の上を転がりながらその時に思った。
余談、漫画の「北斗の拳」で相手の孔を突き内臓もろもろを吹き飛ぶという描写があるが、あれは原理的には正しいと思った。もし吹っ飛ぶスペースが無く、壁際で立たされていたとして後ろにエネルギーを逃がすことができない状況の場合、内臓がその衝撃を受け切れなくて体内で破裂するなと直感した。壁に追詰められた時は要注意だ。
そうこうして投げたり、投げられたりしているうちに何人もの人が集まってきた。途中で王将からの差し入れが入り、餃子や麻婆豆腐をみんなで食べ、また遊んでいたりしたら朝になった。夜から集まって、、結局のところ11時間近く外で遊んで帰りにデニーズでモーニングを食べながら5時間近く話をしたからトータルで16時間遊んだことになるか。
でも不思議なことにそれだけ遊び切った方が人は元気になるものである。それ以来小学生ぶりの「食欲」が戻ってきた。
デニーズでモーニングを食べた後に、帰ってきて天ぷらそばの大盛りを食い、夜は寿司をひたすら食べて寝た。普通寝てない時って消化吸収力が落ちるハズなんだけどアレは勝手な思い込みだということを知った。この前も後輩とジョナサンでトマトパスタの大盛り、サラダ、フライドポテトを食った後、焼き鳥とビール飲んでラーメンを食って帰った。この間3時間程度だぞ。それでいて全く消化不良にならないのである。食間とは何だったのか。
やることの大小にかかわらず結局のところ<余力を残さずやりきる>というのがポイントのようだ。逆に中途半端に数時間人と話をして帰ってきて、楽しい時間だったはずなのにグッタリ疲れてしまった、ということもある。
遊び方には気をつけよう。やり様によっては人は元気になるし、本来の身体の機能が戻ってくる。それでいて<重要なところ>お金をかけなくてももともと子供がやっていたように人は遊べるのだ、という事実があるのだった。