知らずしらずに贈与しているようになりたい

近内悠太さんの「世界は贈与でできている」という本を読みました。書店ではじめ、この本を見かけたとき、「贈与」という言葉に引っかかり、あまり自分に縁がないものだと思っていました。どこかの書評で、人と人が関わり合う基本ではないかということを見かけて読んでみると、1つひとつの章が実に興味深くあっという間に読み終えることができました。
資本主義の社会で生きていると基本的にはお金を軸にした経済活動が行われ、働くことでお金を稼ぎ、稼いだもので、食べ物や衣服、その他諸々の商品・サービスを購入し、生活を送っていきます。
お金を稼ぐために、私も含めて企業に属している人は少なくありません。企業には業務分掌というものがあります。普段から意識している人、していない人はそれぞれかもしれませんが、会社に属していると、あなたの部署の役割は◯◯で、役職が係長のあなたはこういう仕事をして・・・というのが定まっていて、それに即して役割を果たすことが求められ、その果たした結果、給与がもらえることになっています。
その給与は企業がお客さまに商品・サービスを提供することで得られる金銭から発生しているので、個人事業主であっても、サラリーマンであっても社内の活動や対顧客での活動の対価として金銭を稼ぐ点では同じです。
でも、それだけで社会が成立しているわけではないし、むしろこうしたビジネスライクでないところに面白さであったり、やりがいのようなものがある気がしています。
例えば、本来のメンターなどがそうで、上司・部下の関係にない先輩などが何気ないことを言うことで、気づきや成長を促されることがありますが、そういうのが、社会や組織に属している中での面白さだと思います。
(大企業を中心に行われているメンター制度のようなものの多くは制度となっていて、メンターという役割が与えられているためか、恣意的だったり、教科書的な先輩のアドバイスになることが少なくないので、面白さは少ないのではと思います)
こういうことを贈与という切り口から見ていくのは非常に興味深いです。差出人から始まってはダメで、必ず贈与を受け取ったところから始まり、意図せず不当に受け取った贈与をまた誰かのために届けることで、社会が循環していくのは確かにそうだと感じます。
普段仕事をしていても、お客様や同僚から感謝されるのは、意図していないことに対するものが多いです。意図して行っていることは、やって当たり前のことであったり、あるいは「やってあげている感」が出るから、感謝・感動に繋がらないのでしょうね。
お客様や同僚から依頼されたことを通り一遍やるのは当たり前、目先の仕事に追われるのではなく、生産性高めて、ビジネスライクなことはさっと済ませ、プラスアルファに繋がる創造性が発揮できる仕事の時間を増やしたり、見返りを期待せず濃密な人間関係を楽しみながら仕事をすることが、結果として仕事のやりがいや面白さだったり、仕事をしている意味を強く感じられる気がします。
おそらく、こういう活動が贈与に繋がっているのでしょうね。
そういう点では、近内さんが書かれている仕事のやりがいはあくまで結果で、目的はパスをつなぐ使命を果たすこと、というのは言い得て妙だと感じます。
お金で買えない贈与にこそつながりを生み出すし、生きる意味を見出すことができるという視点はこれから生きていく中で、大切な視点だと思いました。

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