音楽と料理は似ている気がする
私だけの個人的な解釈に過ぎないが、
私は音楽と料理は似ている気がしている。
ジャンル分け
まず音楽のジャンル分けについて
ロック ポップス ブルース ジャズ
細分化まで含めば無数にあり、
様々なジャンルが存在する。
しかしそのジャンルについて定義は
されているが曖昧であったり、
違うことを言っている人も存在して
結局ジャンル分けってなんだろう?
と思っている。
これはパンクだと主張する人もいれば、
これはパンクじゃないと主張する人もいる。
個人の思い入れや思い違いなど様々ものが
入り、答えは見いだせず、
そもそも答えを見つける意味なんてあるのか?
プロアーティストでも本人はビジュアルロックでは
ないという主張だったのか?
見ている人がビジュアルロックのアーティストとして
紹介したら憤慨したという記事を見たこともある。
私は今現在はジャンルというものを人に伝えるための
参考になるツールという捉え方をしている。
あのバンドはメタル的な楽曲の印象という意味で、
あのバンドはポップスと私は捉えているという意味で、
言葉を使っているに過ぎない
なので私がポップスだと思っているバンドや楽曲が
他の人にポップスじゃないと言われても、
間違えだとか正解の話ではなく
こちらにも主張はあるが、捉え方の違いかなとしか
言えない気がする。
料理もさまざまなジャンルが存在すると聞いている。
郷土料理も含めれば、ジャンルは無数に存在している。
中華 和食 洋食 インド料理 タイ料理
料理のジャンルの定義は存在はしている。
しかし音楽と同じように定義が曖昧であったり
食べる人の思い入れや思い違い等で
ジャンル分けする意味があるのか?
何となくの方向性やその人の捉え方でしかないのか?
と考えている。
例えば中国で生まれた料理が日本に来て独自の
発展をしていきそれが欧米人にも受け入れられ
欧米人がアメリカ現地での食材で、
作り始め、アメリカ人好みの味に仕上げた
その料理は結果何料理になるのか?
発祥の中国料理?
発展させた日本料理?
それとも洋食?
もはや美味しかったら私はそれでいい。
音楽もジャンルはこの音楽いいなぁと
思えればジャンルはなんだって構わない。
この際誰が作ったかさえ、問題にならない時も
あるかも知れない。
発祥 発展 現状
知りたければ知れば良いし
興味なければ知らなくたって良い。
音楽理論について
音楽理論の必要性は私は自分の音楽には必要だと
感じている。
音楽理論は必要ないという人もいる。
生まれ持った音楽的感覚だけで、
素晴らしい音楽を奏でる人いる。
料理もやるのであれば、
私は食材やレシピを知りたい人間だ。
自分が作る料理には先人たちが
確立していった知識や技術を取り入れたい。
食べるのは自分なので食べられれば良い
レシピなんて知らなくて良いという人もいる。
舌先の感覚や独自の経験だけで、
美味しい料理を作る人もいる。
プロ志向アマ志向
音楽を収益化したい人もいる
料理を収益化したい人もいる
音楽は自分が楽しむためにやる人いる
料理は自分が食べるために作る人いる
これは思想の違いだけで
わざわざ争う必要はない。
しかし どうしても争ってしまう現状が
あるようだ。
音楽の聴き方
ある国民的ダンスユニットの
楽曲の歌詞を見て
特に感動しなかった・・
むしろ何を言いたいかわからないし
当然の事を羅列しているだけに感じた。
しかし そのユニットは売れていて
私は観点を間違えているなと思った。
そのユニットの見どころは歌詞ではない
ダンス 視覚的カッコよさが見どころだ
と思った。
なので見どころ以外のところで評価してしまうと
本質を理解できないなと感じた。
辛い料理 辛さが売りの料理について
甘くないという評価は観点違いな気がしている。
この辛さを評価したり楽しむべきと考えている。
料理も音楽もパッケージされた本質を見ないと
良いと感じるものを先入観等で見逃すような気がしている。
なるべく心を開放的にバイアスに囚われず
聴いてみようと思う。
その方が得な気がしている。
料理も何でも機会あれば食べてみたいと思うが
食材の内容を聞いてどうしても食べられない物もある
バイアスを全て排除するのは難しい。
音楽は料理に似ている気がする