感動の種類
その曲を聞いたり
音楽に触れることにより
聴衆の心を動かすことができる
そんな曲や演奏を作ることが、
最大の目標です。
時々ふと頭に思い描くのですが、
私も人並みに好きな曲
好きなアーティストがいます。
それは
90年代ビジュアルロックから始まり
洋楽の様式美メタルと言われていた
ネオクラシカルというジャンルだったり
その後 演奏が非常に難しい
フュージョンというジャンルが好きになったり
この辺りから好みの垣根がなくなり
今は邦楽ポップス的なものが好きであり
感動する。
一言で感動と表現するが、
その内容は様々で
シンプルに楽曲を聞いていると
切ない中 小さなやる気がでるような
感情になったり
演奏している姿やフレーズの超絶技巧に
興奮したり
その感動は
共感や感嘆であったり
結果を動いた心は様々である。
要するに音楽の感動と一言でいってるが
そこには
すげぇぇぇぇ
とか
泣けてくるねぇ
とか
かっこいいなぁ
とか
感動の種類は様々だ。
その様々な価値がある事を認識すべきだ。
切ない共感を得るために作られている物を
かっこよくないと断じてしまったり
かっこよさを追求している音楽コンテンツに
切なくないと判断してしまう。
間違っているとまでは言えないが
個人の音楽愛好家としては、
損をしている気がする。
以前 音楽と料理は似ている気がする
という記事を書いた。
本当においしい料理とは?という
料理研究家がいたとする。
その人は色々なジャンルの料理を
作り 楽しみ 美味しいという感覚を
できるだけたくさん味わいたいし
それを周りの人に伝えたい。
美味しさには
甘くておいしいものもあれば、
辛くておいしいものもあるし
苦くておいしいものもある。
甘くておいしい料理を
甘いのは美味しくないと
食べない事も自由だが、
料理研究家としては
その料理の主張がどこにあるのか?
そしてその主張は感動を呼ぶのか?
それを楽しみながら調べ触れて
自分が味わったことのない感動を
得ることもまた一興だろう。
音楽も同じように
どのような感動を誘うものなのか?
そして感動はそこにあるのか?
それらを確かめながら
限りある時間の中で
なるべく多くの感動に触れる。
音楽が持つ主張すらも受け止めず
自分の経験則の中だけで、
良し悪しを決めてしまうのは
非常に音楽愛好家として
損をしている気がするとさえ
思うのだぁ・・・・!